神楽坂建築塾 第五期 修了論文

「東京よりふるさと井波町を考える」

  神楽坂建築塾研究生 横山静観

目次

1.井波町について

3.現在の都会(東京)での暮らし

2.井波町で18年間暮らしたことの意義

4.それぞれの場所で暮らして思うこと

  

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1.井波町について

1)まちの概要
 井波町は、富山県の西南に位置し、散居村で有名な砺波平野のはずれにあり、聖徳太子ゆかりの寺、瑞泉寺の門前町となっている。瑞泉寺建立のために集まった木彫師たちが住み着き、現在でも欄間や獅子頭などの木彫が町の伝統産業として息づいている。私の父も、木彫をしており、アトリエの中で制作をしている姿に少なからず影響を受けて育った。

▲井波町の位置
▲まちの構成と周辺の環境

2)まちでの暮らし
 まちの人口は約1万人ほどで、県内の主要な都市からも距離があり、井波町の周辺で自分の生活はほとんど完結していた。背後には関乗寺や八乙女山の山々があり、隣町を流れる庄川の氾濫によって肥沃な土が堆積した扇状地である。瑞泉寺はちょうど関乗寺のふもとにあり、そこからなだらかに下りながら門前通りが続いている。門前通りを中心とした一体から離れると、田園風景の中に民家が散在する散居村の風景が広がっていく。
 まちの年中行事として、7月に聖徳大使を祭ったお祭りである太子伝が行われる。街中には屋台があふれ、まちの雰囲気が一変する。また8月には八乙女山で行われる八文字焼きや、10年ほど前から4年に一度、世界各国の彫刻家を招待し、関乗寺の上に約2週間滞在し、作品を作り上げる国際木彫キャンプが行われ、一大イベントとなっている。
 気候は、夏はフェーン現象により山から吹き降ろす乾燥した高温の風によって、気温が一段と高くなり、逆に冬は湿った風が山にあたることで、かなりの積雪がある。冬に備えての雪が囲いや、雪吊などの準備と、雪かきの作業が暮らしの一部となっている。

 

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2.井波町で18年間暮らしたことの意義

1)心にのこる原風景
 子供の頃、一番印象に残っている体験といえば、山や川の大自然の中で遊んだことが思い浮かぶが、中でも雪にかかわる思い出が特に印象に残っている。町は山のふもとにあり、雪の多い年で、1m以上積もることもめずらしくなかった。朝、玄関から前面道路までの雪どかしをしたり、雪を踏み固めて、あちこちに道をつくって遊んだりした。中でも一番の思い出は、天気のよい日の朝、放射冷却により、田んぼに積もった雪の表面が凍結し、上に人が乗っても沈んでいかないくらい硬くなっており、いつも通る小学校までの通学路から外れ、延々とつづく田んぼの上を横切って登校したことである。一面、点在する民家以外は視界を遮るものがまったく、静まり返った銀世界となる。通常とは全く違う風景の中を、雪の表面を歩くという非日常的な行為を通しての体験は、創造力を刺激し、とても心に残る経験であった。

2)自然の中での体験
 まちの周囲には自然があふれ、川で魚を取ったり、田んぼで野球をしたり、神社や、近くのお屋敷でかくれんぼをしたりして遊んだことが思い出される。都会(人工的な環境)からは全く切り離され、それを当然のこととして育ったことは、今振り返ると非常に貴重な体験であったと思う。特に魚釣りには夢中になり、隣町の渓流に毎週のように通っていた。雄大な自然の中で糸を垂れ、魚が餌に食いつく感触が棹に伝わってくるのがたまらなかった。自然の中で夢中になって遊び、その中で育まれた感性はかけがえのないものであったと思う。
 まちには本屋や大型スーパーがあるくらいで、特に刺激となるようなものはなかった。その分、周囲の自然とその季節ごとの変化を十分に感じられたのだと思う。

3)その場所で育まれた感性
 もし、井波町で暮らした経験がなかったら、今の自分の感性や、ものの考え方は育まれなかったと思う。そういう意味で、かけがえのない貴重な体験であったと思う。自然の中で遊び、ゆるやかな時間の中で暮らした日々。都会の人ごみや、あふれる情報の中で暮らしていたなら、今のような自己は育まれなかったと思う。そういう意味で幼少期の体験は重要なものだと思う。

 

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3.現在の都会(東京)での暮らし

1)人工的な環境
 東京に初めて来たのは、大学受験のために上京してきた時であったが、その時の記憶はほとんど頭に残っていない。それから7年間、千葉で暮らし、就職を来に現在の東京(練馬区)に移り、はや6年が経った。富山から新幹線で東京に向かう際、のどかな景色続いた後、途中から徐々に建物が増えだし、高層化していき、都市に近づいてきていることが実感できる。そして到着した駅から外へ出ると、そこは全てが人工物でできた空間であり、人々が効率よく働き、生活できるよう、高密化、高層化した空間となっている。多くの人々が行き交い、街中には様々な情報が溢れている。郷里と比べれば全く異次元の空間にきた感があり、当時は未知の世界を体験しているようであったが、今では当たり前の環境として受け入れている。

2)あふれる情報、止め処ない時間の流れ
 現在住んでいるのは、練馬区の大泉学園にある住宅街の中で、その中にいる限り、郷里と同じようにゆったりとした時間が流れている。しかし、ひとたび通勤や外出などで都内に出かけると、込み合った電車や、駅や街中に溢れる人々、その途中途中にある広告、看板などの溢れる情報、それらの風景や内容は、全く消化しきれないままどんどん流れていく。田舎にいた時は、風景の中にあるものは少なく、ひとつひとつが消化できていたと思う。

 

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4.それぞれの場所で暮らして思うこと

 郷里からはなれて暮らすことで、当時は当たり前であったそこでの暮らしや自然のすばらしさを再認識できた。
 めまぐるしく変化する都会の中で暮らしながらも、心の中にある原風景、原体験が、自分の中では決して流されることのないものとして自己のアイデンティティーを支えているように思う。
 一方、都会の中にも原風景があり、原体験があり、それらがそこで生まれた人々のアイデンティティーを支えていると思う。しかし、現実には、それらの原風景はどんどん破壊され、その場所にあった記憶がどんどん消し去られているように思う。
 先日、青山同潤会アパートや大塚女子アパートなど都市に昔の記憶をとどめていた建物が相次いで取り壊された。建物の老朽化や経済的な問題等、やむを得ない事情があることは分かるが、その取り壊しにあたって建物の文化的価値が十分認識されないまま取り壊されていったように思う。私の知り合いで大塚女子アパートメントの保存に関わった人がいるが、少し運動が遅れたせいで結局取り壊されてしまった。「あと1年早く動いていれば保存できた。組織を立ち上げるのにかなりの時間をとられた」とおっしゃっており、今回のことを糧に、今後このようなことがあった場合に迅速に対応できるように現在NPOを立ち上げて活動をおこなっている。私もこのようなかけがえのないものを守っていくことに少しでも貢献できるよう、自分のできることから活動をしていきたいと思う。

 

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<井波町の様子>


▲八日町通り(門前通り)

▲瑞泉寺の境内

▲自宅からの風景(関乗寺方面)

▲散居村の風景(関乗寺より)



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