神楽坂建築塾 第五期 修了論文

民家再生“楽”

神楽坂建築塾研究生 大治かな子

目次

はじめに

2.塩山 突き上げ屋根の家 Hさんの場合

1.北軽井沢 こぶしの家 Oさんの場合

3.白州 欅と桜の家 素人大工Tさんの場合

  

はじめに

古民家の再生が密かなブームとなっている。
再生に至るにはさまざまなパターンがある。
もともと所有していた。
古民家に憧れて、物件を探して手に入れる。
解体される物件を移築する。
いずれかの方法で手にした古民家を現在の生活に合うように再生する。
そして、ただ人任せにリフォームするのでなく、自ら積極的に再生に参加するという人が増えている。
そんな「民家再生“楽”者」達のそれぞれの楽しみ方を紹介する。

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1.北軽井沢 こぶしの家 Oさんの場合

 長野新幹線軽井沢駅からバスで40分、浅間山を南に望む北軽井沢の地にこぶしの家はあります。
 Oさんは東京で活躍する著名な工業デザイナー、奥様もテキスタイルデザイナーというご夫婦は、北軽の地に第二の生活の場として工房も兼ねた住まいを作りたいと望んでいました。
 北軽井沢の近隣の農家から敷地内の整備により切られてしまう運命のこぶしの木を譲り受け移植し、また、住まいは岩手県の茅葺の古民家を移築することとなり、「こぶしの家」プロジェクトはスタートしました。

【こぶしのいえプロジェクト】
 デザイナーである施主と設計者と工事を請け負う工務店と「物を作る」をキーワードにした三者が協調しあい、「再生を通じて共に学ぶ場になれば」ということで、移築再生の過程のいくつかをワークショップ形式で行うこととなりました。
 2003年夏の終わりのある日、デザイナーである施主は仕事上の知人友人や親戚、設計者には建築学科の教え子に勉強会のメンバーなど、工務店は(説明不要)、それぞれが物作りに興味のある人に呼びかけ「こぶしのいえ」の土壁塗りワークショップが始まりました。総勢40名、壁土を見るのも触るのも初めての参加者は左官一筋50年の職人さん指導のもと、泥を丸めて小舞に塗りつけていきました。

【みんなで作り上げていくということ】
 もともと、民家の家作りは「結い」によって支えられていました。家一軒を建てるのに大工仕事・職人仕事以外は施主や親戚近所のみんなが手伝うことがごく普通に行われていました。小舞かきや土壁を塗るといった作業は「結い」で行われることが一般的でした。現在の家造りで忘れられた「結い」も民家再生とともに復活させたのがこのプロジェクトです。
 さまざまな年代・経歴の人々のべ150人がこぶしのいえの小舞かきや土壁を塗りに参加し荒壁が完成しました。

【近所づきあいの復活】
 現代の住まいでは隣近所の顔も知らないということがあたりまえですが、こぶしのいえプロジェクトでは近所の農家の方に助けられることが多いのです。例えば、壁土にすきこむワラが足りないといったとき、Oさんはワラとワラ切り機と壁土をこねるためのハンディ型の耕運機、これらを軽トラック込みで近所の農家から借りてきました。
 「都会の人が別荘を建てる」だけでは起こり得ないご近所づきあいが自然に築かれており、それもOさんは楽しんでいるようでした。

 

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2.塩山 突き上げ屋根の家 Hさんの場合

 「変な形の屋根だなぁ」そんな言葉をきっかけにHさんの突上げ民家移築再生はスタートしました。
 Hさんはオランダ人、仕事で日本に滞在し10数年、その間に山梨県出身の奥様とご結婚されました。山がない国オランダから来たガイコクジンに、平らな所がどこにも無い山梨を見せてあげようと、案内したのが奥様。初めは山の風景に魅せられていたHさんであったが、何度も通ううちに変な形の屋根の古い家を発見した。気をつけて見ているとそんな古民家が塩山市を中心にかなり目に付くことに気がついた。
 その変な形の屋根の正体は、「突上げ屋根(腰屋根)」。小屋裏の 2階3階の空間を養蚕用に広く確保しつつ、自然光を取り入れるために南側の屋根の一部を突上げさせている。山梨県内でも塩山市周辺だけに発達した民家様式である。
 塩山駅の北口に「甘草屋敷」と呼ばれる突上げ屋根の民家を保存した資料館がある。そこでこの屋根の由来とその機能性を知りそしてなんといってもそのデザインにほれ込んだオランダ人は、この変な形の屋根の家に住むという夢に向かって爆走する。

【物件探し】
 奥さまが山梨出身ということから、親戚一同の強力なバックアップ体制のもとに物件探しが始まった。しかし、なかなか条件の合う物件が見つからない。当初は敷地も含めて譲ってくれる物件を探していたためであるが、なかなかそのような物件は少ないのである。多くの物件は、「隣に新しい家を建てたので古い家を解体したいから、好きなら持っていって」という、移築物件ばかりなのである。
 一年ほど探してやはり「移築」という条件で、気に入った「屋根」が見つかり、見学してその場で譲ってもらうことに決まった。

【土地探し】
 普通家を建てるときは、土地に合わせて設計する。しかし今回は、家の平面が決まっており、それに合う土地を探さなければならないのだから容易ではない。突き上げ屋根はぜひ南面にしたいので方角にもこだわりたい。土地を探しながらも、再生後の間取りをあれこれ考え夢が膨らんでいった。

【解体】
 なんとか塩山市内に土地も決まり、いよいよ解体。Hさんは古民家探しの段階から「日本民家再生リサイクル協会(JMRA)」に入会し、「民家の学校」で民家の再生について学んだ。
 この「民家の学校」の仲間とご親戚の全面協力により丁寧に解体を行った。

【構造について】
 移築前と同様の開口を設けることは現行の建築基準法では問題がある。壁が足りないのである。土壁は壁倍率が0.5倍である。Hさんの希望で壁はどうしても土壁でなくてはならない。開口も大きくとりたい。そこで苦肉の策で土壁をステンレスブレースで補強することにした。補強により壁倍率が2.5倍となる。
 今回の移築再生を担当するのは、塩山市内で古民家再生を多く手がける設計士と工務店のコンビである。現行法に準じつつ施主の希望を取り入れてくれた。

【バンブーネット張りワークショップ−2002年11月】
 Hさんは、この移築再生のうちいくつかの工程を施主側で行うことで、コストを抑えている。一階部分の土壁下地及び一階二階の荒壁塗りと、壁土づくりも施主側が行う。
 土壁には小舞でなくバンブーネットを採用した。このバンブーネット張りはワークショップ形式で行われた。工場で製作されたバンブーネットを壁に合わせてカットし、取り付けていく。小舞かきの数十倍の速さである。本当は小舞にこだわりたかったが、ほぼ総二階の間取りであるので壁量が多く、また、構造上ステンレスブレースも入っているので、断念した。
 バンブーネット張りWSは当初、「民家の学校」の実習で行われる予定であったが、材料が間に合わず、実現しなかった。その後、日本に建築を学びに来たという外国人の職人さんがこのバンブーネット張りを手伝ってくれて半分を施工し、残りは休日を利用して施主夫妻と友人の数人で張り終えた。

【土壁塗りワークショップ−2002年12月】
 バンブーネットの次は土壁塗りWSが行われた。(表塗り)壁土は、解体時にとっておいたものに新たに土とワラを加え、4ヶ月間寝かせておいたものである。「汚れても良い格好で」で現場に集合した参加者は、ゴム手袋をはめてバンブーネットに塗りつけてゆく。バケツに入れた土を滑車で二階にあげるのが大仕事でした。土壁の一部を丸く塗り残し、Hさんオリジナルの家紋を下地窓風にしつらえるのだとか。

【現在】
 現在は、「屋根」を葺き終えたところ。次のワークショップは、3月に土壁塗りの裏返しを予定している。(12月のWSでは片面のみを塗り、数ヶ月かけて乾燥させている。)
 Hさんはこれまでの突き上げ民家再生の様子をHPにアップしている。ほぼ毎週の更新であり、少しずつ再生が進む様子を見ることが出来る。

 

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3.白州 欅と桜の家 素人大工Tさんの場合

 天然水の里“白州”は小淵沢から車で5分、八ヶ岳と甲斐駒ケ岳を望む。その地に欅と桜の家Tさんの再生中の民家がある。Tさんは現在63歳、3年前に退職してからこの地で古民家の再生を行っている。
 15年程前に別荘地として土地を取得し、2×4のセミセルフビルドで別荘を作り家族で楽しんでいた。定年後の楽しみに数年前から準備して、古民家の再生を自分の手でやろうと計画してきた。
 待ちに待った定年を迎えたと同時に、同じ山梨県内で手ごろな移築物件を見つけ、白州の地に移築した。解体作業から基礎工事〜小屋組までを工務店に依頼し、屋根張り以降をTさん自身で行っている。
 もともとある別荘の増築として行うため、水周りを設けないなど楽な点もあるのだが、屋根張りまで行うことにTさんの意気込みを感じる。

【欅の大黒柱と桜の木】
 この古民家の魅力の一つは一尺の欅の大黒柱。それに新しく加わったのが、桜の木を丸太のまま使った小黒柱。今回の移築の為に切られた桜の枯れ木を利用している。さらに濡れ縁となる東側にもう一本桜の木があり、白州の遅い春に彩りを添える。

【屋根工事−ブルーシートをかけたり外したり、、、】
 小屋組まで終ったところで引渡しとなり、あとは素人大工のセンスと腕で再生していく。はりきって屋根工事にとりかかる。が…、屋根工事は想像以上に大変だったらしい。素人であるので工事も進みが遅いのであるが、ブルーシートをかけたり外したりの作業が思いのほか重労働であった。晴れの日は太陽の直射を容赦なく浴び、風が吹けば材料が飛んでしまう。工事も予想以上に時間がかかり、完成したときの喜びは格別だった。工事を始めてからあっという間に体重が5kgも減ったというから、それまでの生活との変化の度合いが伺える。

【階段工事】
 「階段が出来れば大工として一人前」
 図面は描かずにその都度考えながらやるのがモットーの素人大工Tさんであるが、階段だけはそれなりの図面を描いて材料を用意した。使わない古材の梁を製材して貰い、近所の土蔵を解体した落とし板を踏み板も利用して、100%古材利用の階段を計画した。
 Tさんは多くの作業は一人で行っているが、技術的に難しい部分は小屋組まで施工してくれた工務店に施工方法のアドバイスを受けたり、知人が手伝ってくれたりと協力者が多い。週末には奥さんも手伝いに来てくれる。
 階段工事は材料も重く難工事であるので知人が手伝ってくれた。その際、知人が階段の親柱に小黒柱にならって桜の木を使おうと提案した。階段は斜めの加工が多いところに、桜の木の丸太加工が加わり、素人大工には最上級の難しさであった。その分、階段が出来上がったときには、登ったり降りたりと子供のようにはしゃいだという。
 冒頭の「階段が出来れば大工として一人前」といったのは、小屋組まで施工してくれた工務店の棟梁。

【下屋工事】
 南側に4間×4尺5寸の下屋を張り出す。ここは基礎工事からTさん自身で施工する。完成するとサンルームのように使え、この家の顔となるスペースである。難工事は家の本体との屋根仕舞いと、梁の接合部分。その都度、工務店の方にアドバイスを仰ぎ重要なところを決めていった。
 梁の接合部分は(   )接ぐこととし、古材の梁を刻む。古材はきれいに製材されていないがそのまま活かすこととするので、墨が打てない為加工が難しい。

【渡り廊下(階段)】
 既設の別荘と古民家をつなぐ渡り廊下は、床のレベル差もあるので3段の階段となる。既設のほうの外壁を細工する為、雨仕舞いが難しい。

つづく

 

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