神楽坂建築塾 第五期 修了論文

アグリガーデニングのすすめ

  神楽坂建築塾研究生 落 合 佐 敏

目次

1.はじめに

5.育児をどうするか

2.身近な自然保護

6.田園都市論についてちょっと

3.アグリガーデニングをしよう

7.江戸には帰れないけど

4.「地産地消」という考え方

  

1.はじめに

 一時期巷では、ハヤリモノのようにガーデニングが行われた。今から4、5年前のことである。そのころは、どこのうちの玄関脇にもプランターが置かれ、ブロック塀にはハンギングバスケットがかけられていた。今やそのブームも過ぎたが、ガーデニングは私たちの生活に完全に定着した感がある。

 ガーデニングといえば新しいが、江戸の昔から園芸は日本人にとってなじみのある趣味である。江戸時代から、盛んになったり衰えたりと波はあったろうが、植物を身近に置いて楽しむという伝統は延々と現代まで続いてきたわけで、昨今のガーデニングブームもその延長線で考えることができる。身近な自然を楽しむとき、それを庭先において手をかけて育てるというのは、そういう意味で私たちの歴史の中にしっかり位置づいているといえるだろう

 ぼくが子供のころ、父の仕事が国鉄の職員だったせいで「官舎」と呼ばれる長屋に住んでいた。そのころの国鉄の官舎は、その当時としても狭く古い建物で、さすがに台所はガスが入っていたがまだ風呂は薪で沸かしていて、薪割りは小学生だった僕の仕事だった。薪割りをしていると、たまにそこからはカミキリムシが出てきて、ギィーギィーという鳴き声をあげるのだった。

そんな我が家でも、ささやかな庭には花木や果樹、それに花や野菜などがところ狭しと植え込まれていた。当時の国鉄職員は、2,3年で転勤をして、そのたびに最寄りの官舎に移るのが常だった。だからその庭は、我が家のものであって我が家のものでなく、その庭に草を植えることはできても、新たにちゃんとした木を植えることはできなかった。

 それはすごく残念なことだったが、ほんの猫の額ほどの土地に川原から拾ってきた石で花壇を縁取り、宿根草や球根を植え込み春を待っていると、それはやはり「うちの庭」なのであった。前に住んでいた人も同じように丹精していただろう。時折ぜんぜん知らない芽が出てきれいな花を咲かせることがあった。そんなときは何かすごくうれしい気持ちになった。

 また野菜も作っていたが、庭で作れる種類は限られていたから、線路脇の土手を開墾して畑を作っていたのだ。石ころだらけの土手を少しでも野菜が育つように、石をどけ、篠竹で風除けを作った。手伝いをしていると蛇が出てきたこともあった。また、近くでノビルなどの野草を積んで食卓に上らせたりもした。野菜つくりは趣味ではなく、まさに生活そのものだった。

 ご多分に漏れずテレビっ子だったぼくは、残念ながらそういう土に触れる生活よりもテレビを見、その後は本に耽溺していく中で徐々に体で自然に触れる生活から離れていく。小学校の上級生になり高崎市内の小学校に転向してきた頃には、本にどっぷりつかるインドア少年になっていた。それが結果として今の国語教師という仕事につながっているのだから文句も言えないが、今でも子供のころの思い出というとそのころのことをよく思い出す。貧しかったがそれなりに生活を楽しんでいた。その生活の中心に庭が、そして植物があった。

 植物を育てることで何が身につくかといったら、たぶんそれは秩序の感覚だろう。四季の巡りに合わせ種を蒔き庭に手を入れることで、次々と花が咲き実がなっていく。自然の摂理といっていいが、冬が終われば必ず春が来るように四季は循環し、また同じところに戻ってくる。自然と接していると、秩序とはリズムなのだと感じる。しかし、ときとして、あるいはしばしば蒔いた種は生えず季節が来ても花は咲かない。自然とは人知の及ばないところで動いている。そういう感覚も、自分の体で覚えたような気がする。

 頁はじめに戻る

2.身近な自然保護

 ぼくの暮らす群馬県高崎市は都市化が進んできたとはいえ、もちろん東京のような過密な状況にはない。たぶんサラリーマンが手に入れられる建売住宅でも50坪前後の土地はあるはずだ(ちなみに2004年3月2日付の上毛新聞の記事によると、住宅金融公庫北関東支店の調査で、2002年度の県内で新築された一戸建て住宅は、敷地面積で328.4m2、床面積は139.5m2だったという。床面積はともかく、敷地面積100坪という数字はにわかに信じがたいが、農村部まで入れるとこうなるのだろう。ちなみに平方メートルあたりの単価は166.831円、総工事費は2328万円だったそうである)。自分の家の庭で満足できなければ、ちょっと郊外に出ればまさに農村風景が広がるし、1時間も車で走れば山の中だ。

 しかし、そんな環境にあっても身近な自然にどれだけ触れているかといえば疑問が残る。新しく住宅が建ったところを覗けば、たしかにきれいな住宅と庭を目にすることができる。しかし、その庭には2台分の駐車場スペースにコンクリートが打たれ、後はきれいにブロックタイルと芝生で覆われるという、そんな家も多い。そんな暮らし方をしていて、年に何回か家族でオートキャンプに行っても、子供が自然に親しむようにはたぶんならないだろうなぁ、と思う。

 自然を保護しようという意識は尊い。自然の荒廃にはなんとしても手を打たないといけないことは当然だ。だがわたしたちが守るべき自然とは、たぶん白神のブナ林とか屋久島の縄文杉とかではない。無論そういうものを守ることは大切なことだが、日常的に自然を大切にしようとする意識はそういう「遠くの手付かずの自然」を守ろうとする意識からは生まれない。それはもっと身近なものに、自然の息吹を感じ、それを大切に守り育てた経験からしか身につかないものだ。

 

 東京都は平成13年4月に都の自然の保護と回復に関する条例(都自然保護条例)を28年ぶりに全面改正している。改定は、自然保護の観点から建設残土による埋め立てを開発規制の対象に盛り込み、また、野生生物の貴重な固有種が生息し、「東洋のガラパゴス」と呼ばれる小笠原諸島などを対象に、保護種や保護区を指定し規制している点が注目される。また、絶滅が危惧(きぐ)されているアカガシラカラスバトを想定した保護繁殖事業も取り入れられた。特に屋上緑化については、「1,000平方メートル以上の敷地面積の民有地において、建築物・駐車場等を新築・増築する者はすべて緑地化の義務を負う」として、「地上部では、原則的に空地部分の20%以上で、樹木・芝等の緑化を行なう必要がある」、「屋上・壁面・ベランダでは、原則的に屋上の利用可能部分の20%に相当する面積以上で樹木・芝等の緑化を行なう必要がある」という規定を設けている。

貴重な自然を保護し、ヒートアイランド化した東京の環境を改善するための方策として、これらはたしかに有効であろう。しかし、法律でいかにそれを定めても、最終的に自然保護はそれを保護しようという方向に人々の意識が変わらなければ絵に描いた餅になってしまうのではないか。

 ところで先日、東京都の郊外に位置する福生市の福庵を見学した。都心でも気をつけているとあんがい野鳥を見ることができるが、その日はいつも目にするスズメやヒヨドリだけでなく、シジュウカラの群れに混じってヤマガラやエナガ、それにメジロも目にした。しかし、その場にはほかにも数十人の人がいたが、そのうちの何人がそれに気がついただろうか。

 ふだんから鳥を見、それを気にしていなければ、たぶんそういう鳥がいても気がつくことはないだろう。そして、そういう人は鳥がいなくなってもそれを不思議とも思わないかもしれない。それと同じことが、花にも野菜にも虫にもいえる。買ってきた野菜しか知らない人は、野菜にどれだけ虫がつくか、虫に食べられない野菜にはどれだけ農薬が使われているか。それを知らない。そこに気が付くことから自然保護は始まる、とぼくは思う。

 

 頁はじめに戻る

3.アグリガーデニングをしよう

 そろそろ「アグリガーデニングのすすめ」という本題に入りたい。アグリガーデニングとはぼくの造語であるが、ようは生活の中に園芸、特に野菜作りを取り入れよう、ということである。最初は、「ルーラルライフのすすめ」や「農的生活のすすめ」という題も考えたが、ちょっとこれでは大げさすぎる。かといって「キッチンガーデニングのすすめ」では「ハーブを植えておしゃれなお庭を作りましょう」という感じがして、ぼくの意が伝わらない。で、アグリガーデンという言葉を考えた。

 唐突だが、ぼくが思うに都市化の問題と近代の問題はパラレルにあって、両者は同じ視線で解決すべきではないかと思っている。だからこの言葉には、庭で野菜を作ろうという基本線は家庭菜園づくりと同じだが、家庭菜園のように実用面を重視し収穫だけをその目的とするのではなく、野菜作りを通して社会も個人も今の社会の持つ矛盾をどうにかして(「どうにかして」というのもいいかげんな言葉だが)、もっと豊かな生活を送ってもらいたいという意をこめたつもりだ。

 ぼくが生まれ育ったところは明らかに田舎だった。しかし、父も母もすでに半分そこから抜け出して「勤め人」と「専業主婦」として生活しており、その生活スタイルは明らかに都市でのそれに近づいていた。ぼくはそういう環境で育てられた結果、今のぼくとなって、知を売り(本当は知を売ってなどというたいそうなものではないのだが)体を動かすこともなく教員として生活している。

 しかし、これはぼくだけの経験ではないだろう。大多数の日本人が同じような経験をどこかでしており、だから農村は過疎となり高齢者だけがそこで生活して、そこを抜け出たものはどこで暮らしていてもそれはすでに都市化したスタイルを目指す都市化した人間であるといえる。

「都市化」が何をもたらすかについて、特に都市化が人間の思考に与える問題については、最近、養老孟司氏が「脳化」という言葉をキーワードとして、繰り返しその弊害について主張しているので読んでいただきたいが、ぼくの体験にそくしてもう少し話したい。

 いま、日本のどこかに「田舎」はあるのだろうか?ぼくにはよくわからない。地方都市がミニ東京化しだしたといわれて久しい。ぼくが住む高崎にも新幹線が通って20年が経過し、駅前だけ見れば便利ではあるが本当に無個性な街になったと思う。しかし、ちょっと郊外に行けば越し屋根をつけた大きな農家が点在し、そこが明らかに東京とは違う街であるという印象を持つ。しかし、そこで暮らす人たちの生活や価値観はどうだろう。越し屋根の家はもと養蚕農家のための家だが、現在養蚕を行っている農家はほとんど皆無に等しい。その家からみんな勤めに出るのである。あるいは都内に進学するためにその家を離れるのである。養蚕農家の形をしているが、生産と離れた家はそこで住み暮らす人にとってはただのプレファブの家と本質的には変わらない、あるいは早くメーカー住宅に立て替えたいという立て替えの対象でしかないだろう。

 田舎の風景はかろうじて残っているが、そこには暮らす人の論理は田舎の論理ではなく、都市の論理がそこには流通しているといって間違いがないということである。共同体を離れることで古い因習やきつい労働からから解放されそこそこ経済的に豊かになった代償として、ぼくが子供のころしたような自然と密着した体験を手放したとしたら、それは帳尻りが果たして合うのか。ぼくには疑問である。

 しかし、昔のような生活に戻れといっても無理がある。そのための方法論が「アグリガーデニングのすすめ」ということになる。

 

 頁はじめに戻る

4.「地産地消」という考え方

 ぼくのアグリガーデニング体験を話したい。ぼくは3年ほど前からいわゆる「家庭菜園」を始めた。といってもたいしたことはない。休耕田の片隅に、猫の額ほどの土地を借り、春、売り出されている野菜の種を蒔き、苗を植えつけただけのことである(畑は、今はもう少し手を入れている。休耕田のままでは、周りで稲を作り始めると湿地化してしまうので土も盛った)。苗が大きくなるまでは多少草取りもやったが、肥料をやるでもなく消毒をするでもなく、ほぼ放任状態のままである。

 それでも3年前のその年の収穫はなかなかのものだった。夏を迎え収穫の時期となった畑には、野菜たちが大きく育っていた。キュウリやトマト、ピーマン、ナスなどが食べきれないほど採れた。毎日畑に行くのが楽しみだった。だめだったのはトウモロコシ。背丈は大きくなったものの身のほうはカナブンにやられてほぼ全滅だった。

 採りたての野菜はみずみずしくて、どれも味が濃厚だった。たいていの野菜は生か、アミで焼いて醤油をかけるか、せいぜいでオリーブオイルでさっと炒めて塩,コショウをふる程度の料理ともいえない料理で食べた。しかし、「うちの野菜たち」はスーパーで買う野菜とは違って、野菜そのものの持っている「力」にあふれているのでそれで十分だった。夕方、ピーマンをアミであぶってサッと醤油をかけたものをつまみに、つめたく冷やした白ワインを飲む。これがかくべつ美味しい。こんな素朴な美味しさは、家庭菜園をやって採れたての野菜を食べてみないとわからないものだ。で、やみつきになった。ジャガイモは四キロの種芋を植えて、約八十キロの大収穫となった。初めて収穫の喜びを体で知ることが出来た。「放任」と入ってもそれなりに手はかかる。土地に触れ、作物に手をかけた日の、風や光や空気を今でも思い出すことができる。

 話は変わる。ここ数年、BSEや鳥インフルエンザ、牛肉産地の偽称問題や採卵日のごまかしの問題など食品に関連したニュースが話題になることが多い。食に対する不安が強いからだろうが、そういう問題を起こした会社に対する社会の目もいちだんと厳しくなっている。たしかに、鳥インフルエンザにかかった鶏を出荷した会社が非難を浴びるのは当然だろう。しかし、極論かもしれないが、20万羽もの鶏を飼い食肉工場のようなところで鶏肉を作り出すことを当たり前のように受け入れ、自分で作り出せない野菜や肉をいつでもスーパーにいけば買えるのだと考える消費者に問題はないのだろうか?

「地産地消」という言葉がある。地元で取れたものを地元で消費しようという、という運動から生まれた言葉だ。今は安く作るためなら、中国やタイ、あるいはベトナムからも野菜が輸入される。そういう国から入った野菜はすごく安い。だから農家は、それ以上に安い野菜を作るか、高い付加価値をつけざるを得ない。薬を使った大量生産や機械化農業がそこから生まれる。しかし、やはりそこには無理があるといわざるを得ない。僕は、広い意味でのそういう無理が、食品のいろいろな問題を引き起こしているのではないかという気がしている。だからこそ、消費者は地元の生産者を大切にして、風土に合った食べ物がいつでも手に入るようにしないといけないと思うのだ。

 ぼくの作るキュウリは美味しかった。しかし、キュウリが食べられたのは、夏の1か月か2か月だけだ。それも、出来不出来が激しい。手間暇はかけなかったといっても、畑を管理するのはそれなりに大変だった。手間までお金に換算したらとてもやっていられないだろう。見た目も良く、美味しいキュウリが一年中スーパーの店頭には並んでいる。そういう野菜についつい手が伸びる。そして、実際にもよく買っているのが実態だ。しかし、頭の片隅には、いつまでもこれではいけないな、という思いが離れずにいる。

 農水省によると、平成14年の食料自給率はカロリーベースで40%、穀物自給率だけ見ると61%であるという。食料自給率が41%ということは、食料の6割を海外に依存していることを意味する。穀物自給率は2000年時点で、世界175か国のうち128番目、先進国が加盟する経済協力開発機構(OECD)30か国のうちでは29番目と、最低水準である。いつまでも食料が安定的に輸入できるという保証はない。国民が最低限必要な食料を確保するという「食料安全保障」の観点からも、自分で食べるものは自分で作るという姿勢は重要である。

 都市農業で注目されるキューバも、きっかけはソ連の崩壊とアメリカの経済封鎖であったという。野菜の種も最近売られているものは、固定種が少なくなって一代交雑種になっている。一代交雑種の種は、翌年とっておいた種を蒔いても親と同じようにはならないから毎年種苗業者から買わざるをえない。食料だけでなく、農産物の種も自給自足できない現状を考えると、私たちが、それぞれのうちで野菜を作ることの意味の広がりが見えてくる。

 

頁はじめに戻る

5.育児をどうするか

 ニューアカデミズムが流行したころ盛んに次のようなことが言われた。近代的な方法論による絶対的な価値観はすでに有効性を失っている、それに代わるものは「強度」だと。ニューアカはその後失速したが、近代的理念はますますぼくたちの中で意味を失いつつあり、生きる意味を見つけるのは困難になるばかりだという実感はいっそう強くなっている。

 神戸のA少年による連続幼児殺傷事件のあと、人を殺してはいけないのはなぜかという疑問が盛んに少年たちから呈され、それに答えられない大人の姿ばかりが荒涼と目に付いた。ぼくは今でこそこういう問いは無効だし、こういう問いに対して「論理的」に答えようとする大人の姿に苛立ちを覚えるが、こういう問いが成立しそれに真剣に解答をしなければならないということ事態に近代の自明性の崩壊を感じるし、当時はむしろこうした問いを発することに意味を感じていた。

 社会の自明性が失われ、価値観を共有する共同体もない社会において、人はどうやって人となっていくのか。そこには大変な困難が予想される。神戸の少年は自らを「透明な存在」と呼んだが、その言葉にぼくはたしかにリアリティを感じる。だれもが自分というものに確信が持てない時代なのだと思う。

 しかし、かつてなら14歳は元服の年だ。大人として遇されるためには、大人として社会に認められなくてはならなかった。少年から大人への移行期には、伝統的な社会においては通過儀礼と呼ばれる大人としてみとめられるために非日常的な試練を受ける必要があった。A少年は日記に、「愛するバモイドオキ神様へ ぼくは今14歳です。そろそろ聖名をいただくための聖なる儀式「アングリ」を行う決意をしなければなりません」という一文を残している。少年が14歳となったとき、今は失われてしまった自ら大人となるための儀式を用意したとしたらたいへん痛ましいことだ。

 やりたいことがやれない社会において、「君のやりたいことをやりなさい」というのは親切な言葉かけだろう。しかし、今は社会においてはその言葉かけはどうだろうか?

 現代のような社会の枠が壊れ、生きることの意味が個人によって大きく異なっている社会のなかで、自己実現をめざしてすすんだとき運良く、まさに「運」よくだが、やりたいことが見つかりそれが周りの社会に受け入れられれば問題ないが、価値観が多様化した社会においてはそうそうそんなことは起こらないだろう。むしろ、その自己実現は失敗に終わることが多いことは容易に想像できる。そして、「やりたいことをやりなさい」といった人は、けっしてそのことの責任をとらない。

 ぼくが子供のころは、怪獣映画や様々なアニメがひっきりなしにテレビから流れていた。その頃ぼくたちはウルトラマンやマグマ大使に夢中だったが、いずれぼくたちにも漫画も読まずアニメにも無関心になる日が来ると思っていた。そして、髪を切りスーツを着て大人の仲間入りをするのだろうと漠然と感じていた。

 でも、けっきょくぼくたちは「大人」になんかならなかった。子供のまま、子供時代からの価値観を壊すことなく大人になった。ぼくたちの周りを見ても、価値観の共有化なんて知らないとばかり「おたく化」した友人、知人は珍しくもない。そういう知人たちは、いまだにゴジラがリメークされたといっては映画館に足を運び、子供以上にガンダムに夢中だ。しかし、やりたいことをやりたいようにやってきた代償として、自由な社会で自分は何者なのか決めかねている者もまた多い。一度は就職しても、転職したりなかなか定職に就かないもの者や、結婚して幸せな家庭を築いていない者を見ると、伝統的な社会で抑圧に悩むのも、自由な社会で自己決定できずに悩むのもどちらも大変だと思わざるを得ない。80年代に高度資本主義システムが成立し、ハイパー資本主義のもとでは、生産したものがすべてまた資本主義内部の市場経由で回収されて、ぐるぐるまわってゆく外部なきシステムが成立すると考えられた。たぶんそのころが分岐点だった。ぼくたちは、実感や実体験よりも、「情報」を大切にし、あらゆることを等価に扱うようになったのだ。

 つまりはそれが「都市化」であり、養老氏の言葉によれば「脳化」ということになる。『「都市主義」の限界』のなかで養老氏は、脳化した人は、「人工物に囲まれて暮らしている人にとって、自然は脳の中でまず実態を失う。」「そうした人たちにとって雑木林とはすなわち『空き地』なのである。つまりそこにマンションを建てたら、何棟建つかという場所である」と考えるようになるといっている。人は人を殺してはいけないという議論の中で、それは割に合わないからだと議論を聞いた。これなどはまさに脳化した人の議論であり、人が自然からいかに離れてしまったのか考えさせられる。

 議論を戻そう。そもそも、社会の枠、つまり「抑圧」のないところで欲望は成立しないだろうとぼくは思う。欲望とは、欠乏からの回復を願う運動だからだ。やりたいことがやれる社会に、本当の欠乏、つまり欲望は生じようがない。

 じつは、自分の人生はこうしたいというそれぞれの人が持つ自分なりの「生きる意味」は、そうした自分の欲望と社会からの要求のバランスの上に生まれる。欲望(=無意識)とそれを抑えようとする規範意識(=超自我)、その間でうまくバランスをとる自分(=自我)で心は成立すると考えた精神科医がジークムント・フロイトである。フロイトの生きた社会は規制の強い社会であり、欲望は強く抑制を受けた。そのために、このバランスが崩れやすくそのとき心の病が生じると考えた。

 それに対し、社会的規範が崩れた社会において人の心はどうなるか、そういう視点を提供した精神分析医に70年代にアメリカで活躍したハインツ・コフートがいる。彼が治療の対象としたのは自己愛パーソナリティ障害といって、本当の意味で自分に自信がもてないため、常に相手に対し傲慢に振舞うと人格特性を持った人たちだった。彼らは一見すると傲慢で自己本位だが、本当の意味で内面が強いわけではないでの、自分が傷ついた時、それの傷つきに耐えられず、急にひきこもってしまったり逆に暴力的な行動に出ることがある。

 話が少し臨床心理に偏り、わかりづらいと思うがもう少し付き合って欲しい。この治療の中でコフートは、健全な自己は、両親から2つの方向の生きる力を与えられるなかで成長していくと考えるようになった。1つは、子供のときから親に愛されることで自分に対する自信が生じ、それがひいては人生を切り開く力となっていくという方向の生きる力であり、それをコフートは「野心」の極といった。またもう1つは、親の生き方を理想化の生き方として自分のうちに取り込む中で、自らの道徳心を作っていくという方向の生きる力であり、それを彼は「理想化」の極といった。そして、両親から何かを成し遂げようとする野心と理想とすべき生きるためのモデルが与えられたときには、その人の中になかなか壊れることのない心の芯のようなもの、「中核自己」が形成されると彼は考えた。

「中核自己」がしっかり形成されないと、自分が自分であるという感覚(「自己感」 sense of self)が持てずに長く悩むことになる。極端な場合、自分の生が確認できず、その確認のために自分の体を傷つけることもあるし、人を傷つけることで自分の生を確認することもある。神戸のA少年は後者の例だろうが、そこまで極端ではないにしても、ぼくが学校で見ていると、表面は傲慢だがちょっとのことで暴発したり傷つく生徒を見ることはまれではない。リストカットを繰り返す高校生もあんがい多い。そういう生徒は、コフートに倣って言えば中核自己の形成が不十分だということになる。こうした自己の脆弱性を抱えた生徒が多くなったのも、社会の自明性の崩壊の影響、特に両親が子に与えるべき「野心」や「理想」を持てなくなっている現代社会の危うさが大きく関係しているといえるだろう。

 社会構造がどんなに変化しても、実感や実体験よりも「情報」が大切になることや、あらゆることを等価になるなんてことはありえない。やっぱり、人間が生きていくうえで、自然と係わる時間を持った方がいいことは言うまでもない。

 現代は、中核自己が形成されるに必要な条件を満たすことが難しくなっていることは先ほど述べた。たしかな「自己感」を持った子供を育てるために今必要なのは、親自身が目的を持って生き生きと生きる、つまり生き生きと活動して(働いて)いる姿を子供に示すことである。そして、そうした働く両親と子供が時間を長く共有することである。第1次産業が産業の主体であった時代であれば、こうしたことは自然に出来たことであったことだが、現代のように仕事と家庭が極端に切り離された社会において、意図的にそういう機会をつくらないとこうしたことが出来なくなった。子供たちに健全な「野心」と「理想」を与えることためにも、ぼくは家庭に少しでも「生産」の要素を導入すべきであると考えている。それは必ずしもアグリガーデニングである必要はないのだが、どのように生産を持ち込むか、そのために何をなすべきか、大人、特に親は真剣に考えなくてはいけないだろう。ぼくの経験からは、それがアグリガーデニングだったということだ。

 

  頁はじめに戻る

6.田園都市論についてちょっと

 田園都市は、古くはハワードにより提唱され、イギリスのレッチワースにおいて実現されたものである。ハワードは、ロンドンのスラム、農村の荒廃を見て、都市と農村のよいところを合体させる田園都市を着想しそれに希望を託した。レッチワースはその理念に沿って開発、周囲に農地のグリーンベルトを、その中に同心円の並木道を配した居住区が作られ、土地は、開発公社が所有、それを賃貸して経営、投資家には配当5%を約束して開発が進められた。レッチワースでは、現在に至るまで再開発が行われるなどしながらその理念が継承されている。

 これに対し日本でも、大正から昭和戦前期にかけて、郊外での新興住宅地の開発が盛んであった。そのとき、郊外住宅地開発のキーワードとなったのが「田園都市」である。現在も東京が過密であることに変わりはない。過密解消に、郊外を大規模開発し戸建住宅をつくる試みは、バブルのころ自治体や第3セクター主体で盛んに行われた。

 ぼくの住む群馬県では、東京から約60キロメートル、群馬県、埼玉県、栃木県、茨城県の県境に位置している板倉町に、開発面積 218ヘクタール、計画戸数 3,400戸の新しい街をつくろうという試みがおこなわれている。

 しかし、その開発の視点には、「平均面積70坪を確保。2台分の駐車場と庭、ゆとりの住宅プランがたてられます」(開発主体である群馬県企業局のことば)という、住人がいかに快適な暮らしができるかかという視点以外に、都市と農村をどう繋ぐかといった視点や、地方都市の再生といった開発の理念を語る言葉はないといっていい。

 バブルのころからの計画であるため開発費用がかさみ、現在分譲中の宅地の価格は1坪(3.3m2)当たり20万円前後が中心となった。そのため、省エネやバリアフリーなど特定の条件に合う住宅をここに建てると県の「宅地購入奨励制度」によって300万円の援助を受けられる(ようするに値引きである)という特典があるにもかかわらず、割高感から思ったように販売が伸びずにいる。

 板倉ニュータウンの場合、田園都市としての理念はないといったが、大きな庭とタウン内にある家庭菜園(1区画20m2、年間賃料5,000円)を使えば、アグリガーデニングは十分可能である。田園都市論から田園生活論へ。これなら個人の意識を変化させれば明日からでも行える。

 

 一家4人の野菜なら1アール(30坪)もあれば十分だというが、ぼくの実感からいうとこれは広すぎる。これだけ広いと、普通のサラリーマンには手入れが出来ないのだ。また、1アールの野菜づくりは市販の野菜を買わず、今の食生活からは考えられないほどの野菜の収穫を狙っている。この量は作るのも大変だが食べるのも大変なのだ。ぼくの経験からいうと、夫婦共稼ぎではだいたい15坪くらいの作付けで手一杯のはずだ。しかし、これで必要なだいたいの野菜はつくれると思う。全部の野菜をつくる必要はない。採りたての方がおいしいもの、ちょっとサラダに入れたいもの、味噌汁の具に庭からちょっと野菜を摘んで、といったスタイルなら十分50m2の面積で十分野菜がつくれる。これくらいの面積なら、「農作業」を子供にちょっと手伝わせてみることも気楽にできるだろう。

 


 頁はじめに戻る

7.江戸には帰れないけど

 ぼくが仕事を始めたころ、ちょうどニューアカデミズムの流行期で、浅田彰の『構造と力』をはじめ、文化人類学や構造主義の本をよく読んだ。江戸、東京が見直されだしたのもそのころからである。陣内秀信の『東京の空間人類学』や田中優子『江戸の想像力』を読んで、江戸がいかにその当時のヨーロッパの都市に比べて融通無碍で優れていた都市であったか、そのときに頭に刷り込まれたといっていい。

 いまと同じように、江戸の都市構造や環境システムがいかに優れたものであるかが当時盛んに言われていた。また、日本ではすでに早くも江戸時代からポストモダン的状況が出現していたのだともいわれた。こういう主張は、バブルに踊り、「ジャパンアズナンバーワン」といわれた日本人の気持ちのおごりを反映もして強い共感を集めたように思う。今でも、自然保護や都市農業の問題を語る時に、「江戸を見習え」という人がいる。その主張はバブルのころの焼きなおしめいていて、主張は正しいと思うのだがいまひとつ単純に賛成できない。江戸時代と今とでは、エネルギー消費量も情報の消費も違いが大きすぎる。車もインターネットも手放せないぼくたちは、もう江戸には帰れないからだ。

 さきほど、「都市化の問題と近代の問題はパラレルにあって、両者は同じ視線で解決すべきではないかと思っている」と書いた。そういう文脈を80年代のポストモダンの言葉で説明すれば、都市と近代の問題を解決しない、それは解決すべきものではなくそこから「逃走」し「ズラシ」ていくものだということになろう。その有効性をぼくは否定はしないが、現実に都市と都市生活は限界に来ているし、そこで育ち暮らす人たちに近代までは生じようのない問題が突きつけられている。その状況を、言葉ではなく何か行動できることで少しでも解決したいとぼくは思う。車もインターネットも手放せないぼくたちは、システムとしては江戸には帰れないけれど、自然や社会に向き合う姿勢としてそこから学べることはたくさんある。その答えのひとつとしてアグリガーデニングのすすめもある。アグリガーデニングは、働くことや収穫することの意味、自然と向き合う体験することの中で身に付けられる事柄を教えてくれる。そしてぼくたちの社会のあり方を改めて呈示してもくれるだろう。

 さいごに。自然と付き合う時、人は忘れていた世界の秩序を思い出すことができるだろう。それに、自然は人間の恣意性を受け付けない。自由にならないものに尊敬の念を感ずることが極端に少ないなっている現在において、そうした不自由なものに接していくことは人として大切なことだ。また、屋外での園芸の仕事は、私たちの身体的感覚を呼び覚ましてくれる。この私の薄いの皮膚1枚を隔てて、季節の陽光、風、水、そして土が入り込んでくる。この感覚を大切にしたい。どんな世の中にあっても、私たちの存在は生きている場とつながっているのだから。そして、ここが普通のガーデニングとアグリガーデニングとの大きな違いであるが、最後には収穫した野菜をつまみにして、自然の恵みに感謝しながらお酒まで味わえるのだ。

 頁はじめに戻る

主要参考文献

青木宏一郎著『自然保護のガーデニング』(中央公論新社、2002年)
和田秀樹著『<自己愛>の構造』(講談社、1999年)
吉田太郎著『200万都市が有司野菜で自給できるわけ』(築地書館、2002年)
養老孟司『「都市主義」の限界』(中央公論新社、2002年)

BACK