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1. |
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子供の頃住んでいた家はずっと木造の小さな平屋だった。静岡県の清水市(今は静岡市になってしまったが)の興津という小さな町で、みかん山と、海と川も揃っているとても穏やかな町だった。親が果樹試験場というところに勤めていた関係で、その広大な敷地内に官舎が点在していて暫くその中に住んでいた。遊び場もいつもみかんの木に囲まれていて、土や草花や虫や風や光や音など沢山の自然をいつも肌で感じながら、様々な貴重な感覚が、この頃擦り込まれていった様に今にして思う。 まず一番はじめは、みかん山の中腹にある2軒長屋の小さな家に住んでいた。隣は昔、伊藤博文が別荘に使っていたという大きな古い家があって、その家の庭にある池でよく遊んだりもした。あまりきれいな水ではなく、ある日滑って池にはまり、服はびしょ濡れ、汚い水も飲んで散々な思いをした記憶がある。(というか、事あるごとに親からそのエピソードを聞かされていたので、そんな気がしているだけかもしれないが・・)
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2. |
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幼稚園に上がる頃には山の下の家に移って、その後も2度ほど近所の家に移り、少しずつ部屋数も増えていった。この頃の住宅は、1960年代かそれ以前に建てられたものだと思うが、垣根も生け垣だったり、木塀だったり隣近所との明確な区分けもないし、道も舗装されておらず、雨が降れば水たまりがあちこちにできてアメンボが出現したり、いきなり隣の犬が追いかけて来てびっくりしたり、外灯も昔懐かしい木の柱に傘が掛かっているあのタイプでまさしく昭和の風景だった。
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3. |
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中学に上がる時、親の転勤で香川県の善通寺市に引っ越しをした。ここは、以前よりももっと古びたボロ家だったが、一応小さな庭が付いていて地面に近い暮らしという点では変わらなかった。けれども、周りは住宅街だったので密集した場所での生活と、あまりに狭い間取りには、ちょっと勘弁・・という気持ちを子供ながらに感じていた。住まいに求める快適な環境について考える様になったのは多分この頃からかもしれない。けれども、ちょっと自転車を飛ばすと田んぼや池が広がり空気はとても気持ちよかった。金比羅さんも近く、ここからの眺めは最高で讃岐地方独特の(日本昔話に出てくる様な)景色が広がっていた。
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4. |
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大学時代は東京の国立に住んでいた。初めての一人暮らしである。1980年代後半の事。部屋を探しに来た時、ちょうど駅前の桜並木が満開で「町の風景」がすっかり気に入り、ここに住もうと決めた。貧乏学生なので、風呂無しの6畳1間の、大家さんの家の一部を改造して玄関が別になっているという部屋だったが、庭を共有させてもらっていたので、外の物干し竿に洗濯物を干したり、近所の猫が庭で日向ぼっこしてるのが見えたり、のどかな環境だったと思う。そうそう、部屋に付いていた電話が今や幻のダイヤル式黒電話で、かかってくるとけたたましい音が鳴り響き(音量調節できない!)よく徹夜明けで熟睡したい時などは、電話を座布団にくるんで押入れの奥深くに押し込めて凌いでいた。
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5. |
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社会人になると、目白のワンルームマンションに住む事になった。これは、会社の借り上げ社宅だったので、自分で探した部屋ではないのだが、ここで事件は起きた。新築で世帯数は15くらいの3階建ての小さなマンションだったが、引っ越して来た初日から、これはまずい・・と感じた。立地がちょうど、西武線の駅と駅の中間地点の大きくカーブした場所。しかも目の前にV字の道路があり踏切がダブルで付いているすぐ脇。電車はひっきりなしに最高速度で、けたたましく警笛を鳴らしながらカーブを通過してゆく。その時の振動と騒音たるや相当なもので踏切は鳴りっぱなし。昼間は留守にしているだろうと思われるかもしれないが、東京の電車というのは、早朝は4:30頃から終電は午前1:00過ぎまで動いているのである。疲れて帰って来て、熟睡したくとも電車が通過する度に、脳ミソが反応してしまう。休日も家でくつろぐ事なんてできない。疲れが取れない。ベランダは、すぐに煤けて真っ黒け。植物の鉢植えもちっとも育たない。窓を少しでも開けようものなら、話し声も聞こえない。
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6. |
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次に移った場所は、西池袋だった。立教大学すぐ近くの今度は間違いなく静かな場所だった。今度も会社の借り上げ社宅だったので自分で探した部屋ではない。今度の所は、更に世帯数の多い3階建てマンションになった。1フロアに15世帯くらい入っていて、一番奥の自分の部屋にたどり着くまでかなり距離があった。
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7. |
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自分で住まいを探す時には、まず町を自分の足で歩いてみる。歩いていると、町の雰囲気や人の感じが伝わってくる。そうすると住みやすい町かそうでないかが自然と分かってくる。以前、平良先生のお話の中で、子供の頃は親の事情で必然的に住む場所が決められてしまうが、大人になってはじめて、ある程度自分の意志で住宅の環境を選択できるようになるものだという内容があったが、私はその通りだと思った。まさにその時の自分は大人の領域に足を踏み入れた時期だった。
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8. |
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長くなるが、次に私は文京区の茗荷谷に住んでいた。あちこちの町の雰囲気を探索している時に、偶然通りかかって一目惚れしてしまった町だった。今回は初めて自分で家賃を全額払って、ある程度長く住むつもりで、こだわって探した家だった。家賃7万円。ちょっと広めのワンルーム。引っ越しをするまでの間、あんまり嬉しくて、休みの度に自転車で何度も何度も新しく住む家(外観)を見に行った。とてもウキウキしていたと思う。
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9. |
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そして現在私は、名古屋に住んでいる。転勤で移ってきてもうじき1年になる。住み慣れた東京を離れるのはとても寂しかったが、これまでも何度も引っ越しを経験してきたので、新しい土地に対しての不安感は無く、もうどうにもならないと観念してからは気持ちの切り替えは早かった。 |
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