武蔵野美術大学通信教育●建築論
建 築 巡 礼

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アイルランド冬の旅-003

僕の2002年の幕開けはアイルランドだったんです。元旦はリムリックという古い街にいたんですが、午前0時にホテルの窓の外を見たら小さな花火がわずかにあがっていました。とても地味な新年の印象でした。

 

●静かなクリスマス

 冬のアイルランドはどこに行っても人気があまりなかった。何しろ朝は遅いし、夜は早くやってくる。しかも寒くて暗くて風が強い。雨も小雪も降る。街はひっそりしていました。だから逆に、パブやバーが土地の男たちでにぎわっていた。クリスマス前後はダブリンにいたのですが、ほんとにまったく人が街を歩いていないという状態でした。バスも車も走っていない。中国系のスーパーが二軒開いていただけでしたね。ですからそこでパンとハムとワインを買いこんで来てホテルで食べるしかなかった。みんなきっと家で静かにクリスマスを楽しんでいるのでしょう。
 アイルランドの風景で印象に残るのはなんと言っても空でした。刻々と変幻する空のかたちと色……。とにかく高い建物がないのですから、空の占める割合がとても大きい。ダブリンの街にしたって3〜4階建ての古い建物がほとんどで、7〜8階のビルがあると「これはちょっと高すぎるんじゃないか」と思ったりするくらいでしたからね。中心市街からバスで10分も走るともう延々と草原の続く風景です。牧草地でした。羊や牛が群れをなしていました。
 とにかく地道な風景というか、人間も動物も土地に根を張って落ち着いて生活している印象でした。街の開発もそれほど進んでいない。どちらかといえば古い歴史的なベースがしっかりとあって新しいものが遠慮がちにポツポツとある。そういう街の印象でした。冬でしたから 結構暗かった。朝9時頃から日が昇るのでそれから動きだして、午後3時にはもう日が傾いてくる。雨など降ったらさらに暗い。そんな中でスケッチしていたのですが、やはり描きたかったのはすばやく雲が流れてゆく空と街並と夜のパブになりますかね。

 

●夜のパブ

 日が早く暮れてしまうから夜が長い、というわけでパブに入りびたっていました。アイルランドのパブといえばやっぱりギネスですね。クリーミーな生ビールでコクがあって渋味がある。ほとんどの客がギネスを飲んでいる。「ギネスなしでは生きてられねえよ」という男たちばかりでした。僕はあまり飲める方ではないので1パイント(570ml)、まあ中ジョッキ位ですか、ちびちび飲んでいたんですが……、そういえば、土地の人たちはそのギネスを本当にゆっくりゆっくり飲むんです。つまみもなしで。世間話をしながら飲む人が多いんですが、一人で黙って飲んでいる男たちもいる。比較的年輩の男性客が多いんです。もちろん女性もいますけれどね。
「いいなあ」と思いましたね。こういうパブの文化というのは。日本の居酒屋とはちょっとちがうんですよ。
 そこで音楽のライブが必ずと言っていいほどやっている。僕の好きな「Fairytale of New York」というクリスマスソングもよく歌っていましたね。パブはインテリアもとても居心地がいいので、実は昼間からよく入りました。バーランチというのがあって、おいしいスープと煮込み料理なんです。ギネスを半パイントだけ飲みながら軽食。のんびりくつろいでいるとスケッチする時間がなくなっちゃう。まあ時間がなくなったらパブを描けばいいや、と思って絵具の準備なんかしているとね、パブの客が「俺を描け」って言うんですよ。だから、さっと描いてあげる。とても喜んでくれますね、言葉はほとんどわからないけれど、そこからコミュニケーションが始まる。似顔絵一枚描いたらギネス1パイントが報酬というわけでついつい深酒ということもありました。

 

●アラン島

 以前からアラン島に行ってみたかったんですよ。ゴールウェイという港町からアラン諸島の中では一番大きなイニシュモア島に行きました。石灰岩と石垣と坂と草原と海……、それにやっぱり冬空ですね。寒かったんですがずいぶん歩きました。ゆっくりとね。
 冬の島はとても静かでしたね。春から夏にかけてここはきっとシャングリラ(地上の楽園)なんだろうなと思ったんですが、でも冬に行ってよかったなとも思っています。何しろ風は冷たい。スケッチするのもかなりきつい。でもそんな中からその場所のほんとうの姿が見えてくるものですからね。
 かわいらしい家がいっぱいありましたよ。麦藁の家もみかけました。ドン・エンガスの断崖にも行きました。そこには約二千年前の城砦跡が残っていました。こんな西の最果てにも人は住み着いていたんですね。そこで冷たい風に吹かれながらスケッチをしていました。冬の寒さの中でスケッチするのは身が引き締まる思いですね。でも、絵具が凍ってしまうのでなかなか思うようなタッチがでない。不器用なスケッチになる。でもね、絵は自分で描いているようで実はそうではないのだとも思っているんですよ。その土地の自然や歴史を思いながら一生懸命手を動かす。するとね、なんだかその土地の風土と一体になって描いているという気分を感じるのです。うまい下手はまあどうでもいい。凍えるような寒空の下で描くのですから上手に描こうなんて思っても無理なんです。描こうとする風景に誠実に接近していくんですよ。しかも、思いきってね、絵具が凍らないうちに描くんですよ。


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