武蔵野美術大学通信教育●建築論
建 築 巡 礼

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静かな生活と命の旋律が響いてくる-002

秋がはじまった頃、10日間あまりポーランドに行ってきたんです。僕にとって初めての場所でした。ワルシャワ、クラクフ、ザコパネあたりを旅していたんですが、それぞれの街でそれぞれに深い感慨を抱きました。

 

●再生されたワルシャワの旧市街

 ワルシャワの街は第二次世界大戦でナチス・ドイツ軍に徹底的に破壊されたんです。歴史博物館でその壊滅状態の写真を見たのですが、ひどいものでした。それをワルシャワ市民は丹念に、しかもまっさきに再生していった。現在のワルシャワの旧市街はとても魅力的なんですが、実は戦後に復興されたものなんです。戦前の緻密な風景画や写真・図面を基礎資料にしてまるっきり同じようにつくりあげていった。
 その執拗な仕事ぶりには驚かざるをえませんでした。何しろ建物の全体的な意匠はむろん石積みの形からコーナーストーンの位置、それに看板や家々の紋章にいたるまで忠実に復元しているのです。
 なぜ彼らはそこまでやったのか、僕は歩きながら考えました。街を元に戻すことは彼らのアイディンティティを固く保持することだったのではないか。かつてと同じように復元するのは手間ひまかかることではあるけれど、彼らの世界をあらためてディフェンスすることだったのでしょうね。これを潮にモダンデザインを展開しよう、とは誰も考えなかった。仮に誰かそう唱えたとしてもそれはとても不自然なことだったんでしょうね。ワルシャワの旧市街を実際に歩いてみて、「まちと建築を再生する」ことの大切さ、それに関わった市民の不屈の精神を知りました。

 

●中世の街クラクフ

 古都クラクフにはずっと行ってみたかったんです。友人たちから「ポーランドに行ったらコラクフの古い街を見なければ」と言われていましたから。コラクフでは幸か不幸か、風邪を引きましてね、そのおかげで6日間滞在しました。だから中世から続いている街をくまなくゆっくり歩くことができたんです。スケッチもずいぶん描きましたし、彼らがどのように日々を楽しんでいるかということも観察できました。地下のレストランには小さな劇場がありましてね、そこで子供向けの芝居を見たりしていたんですが、楽しかったですね。ああいったスケール感と臨場感で観劇したことは久し振りだったんです。子供たちの笑顔を見ながら、ほんとうの豊かさについて考えさせられました。
 クラクフはまた訪れてみたい街です。今度は冬の厳寒と暗さの中で佇んでみたい。暗さといえば、街のあかりは暗いゆえに明るさを感じさせるものでした。例えばレストランに入ってもほんとうに暗いんです。せいぜい5ワットか10ワット程度の闇の中で食事をしているんですよね。キャンドルの灯のような電球が必要な箇所に必要なだけある。最初はちょっとびっくりしましたが次第に慣れてきて、妙に落ち着く。我々はもっと暗さの中に潜む心地よさを発見しなければなりませんね。必要以上の明るさはエネルギー資源として考えてみても無駄なんです。

 

●アウシュヴィッツへの旅

 アウシュヴィッツ(オシフィエンチム)ではまずあの有名な「ARBEIT MACHT FREI(アルバイト・マハイ・フライ/働けば自由になる)」というゲートをくぐり、博物館になっている収容所を一棟一棟見学しました。人はそれほどいませんでしたが、バスツアーでやってきた何組かの団体観光客がいました。巨大なガラス室に収められた凄絶な遺品、ガス室や焼却炉を見るにつけ、言葉にできない無念な思いが走りました。人間が自ら生きることを奪われて死んでいく。戦争という事態がこういう結果を生むのだということも確認しました。
 ほんとうはもう一つの強制収容所であるピルケナウも見ておくべきだったのかもしれません。ですが、僕はどうしてもこの収容所のスケッチをしておきたいという思いにかられていました。いままた戦争が始まるかもしれないという状況ですが、戦争をしようと思っている人たちはこの死の記憶をいったいなんと心得ているのですかね。
 僕はあの収容所で、かつて日本で展覧会を開催したポーランドの現代美術作家マグダレーナ・アバカノヴィッチのことを思い出していました。彼女が語りかけていた「沈黙と記憶といのち」がそこにあったからです。

 

●ザコパネの田園風景

 クラクフからバスでザコパネに行きました。ザコパネはスロヴァキアとの国境近くにある小さな高原の町ですが、この辺りには木造のかわいらしい教会が多いんです。ザコパネで改修中の教会を見たのですが、アントニン・レーモンドが設計した軽井沢の聖ポール教会(1934年)が僕の中で重なりました。レーモンドはチェコ出身の建築家ですからこの辺りとそう離れていないわけです。そういう風土が生んだ形というのか、土着的で野性味あふれ、しかも美しいプロポーションの木造教会が残っていて、少年レーモンドもきっと慣れ親しんでいたにちがいないと確信しましたね。
 木造教会だけでなく、木造の民家も数多く残っているんです。僕は勝手にザコパネ様式と名づけて「ああ、あれもザコパネ様式、これもザコパネ様式」と言いながら田舎道を楽しんで歩いていた。これらは風土と伝統に根ざしたアノニマスな家なんです。屋根も昔は全部木の板だったんでしょう。日本で言えばちょうど中仙道の宿場町によく見られた木羽板ということになりますかね。でも木の重ね方のディテールが少しちがう。
 いまだ健在の木羽板の屋根を見つける度に僕は心が踊りました。その家の中から夕餉の支度のためでしょうか、煙突から白い煙りが出ていたりするとほんとうに美しい風景だなあと思ってうっとり眺めていました。かつて日本でも同じような日常風景がきっといっぱいあったんでしょうね。(談)


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