平良敬一先生喜寿記念講演会

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青山:大勢みえているので聞きたいことが僕も色々あるんですけども、山辺さん、今日はハイブリッドっていう言葉にこだわっているので、構造家として教えていただきたいんですけども、私はこれから木を使うことは大事だと思っているし神楽坂建築塾でも木のことを勉強してきているんですけれども、構造の上でのハイブリッドっていうのがあると思うんですよ。その辺の今まで培ってきた構造技術に乗っかってる、例えば鉄とかコンクリートというのと伝統工法の流れをくんだ木というものの構造の上でのハイブリッドっていうのは山辺さんの中ではどんな風でしょうか。

山辺豊彦:ご指名を受けましたが、私は構造設計が専門ですから平良さんのプリントを拝見しまして、構造の分野から共通点を見出すことは難しいですが、唯一ハイブリッドという言葉に対しては、最近の構造の分野においても度々用いられる言葉でなじみがあります。
 平良さんのプリントの中に純粋化とハイブリッド化について書かれていますが、構造的に解釈しますと、純粋化というのは架構が同一材料、つまり鉄骨造、RC造、SRC造で下階から上階まで建てられることを意味し、ハイブリッド化というのは、部材レベルで見ると、皆さん日常的に使われていると思いますが、例えばコンクリートと鉄筋を入れて造るRC部材もハイブリッド(部材)の一つです。もう少し大きく架構レベルでのハイブリッド化というのは、例えば平面計画をするとき、RC部分のゾーンと木造部分のゾーンを混在一体化する平面ハイブリッド架構や立面計画をする場合でも、例えば最下階にRC造、中間階をS造、最上階に木造というように、上下方向に異種の部材が混在する立面ハイブリッド架構が考えられます。このような複合ハイブリッド(主として木質系部材とのハイブリッド)について、構造上の問題点を、今、国土交通省総合技術開発プロジェクト(木質複合建築構造技術開発)で検討されています。
 最近、構造設計において木質系がよく使われていますが、木材を有効利用して里山問題や環境問題に少しでも貢献できればとの願いからでしょう。建築や構造設計に携わっている人は、環境破壊をしているというイメージが強いんです。ところで、構造上、ハイブリッドの考え方はどのように出てきたのかというと、コンピューターによる解析力の向上が関係していると思います。同一材料による架構体であれば、特に複雑にならないのですが、ハイブリッド化してくると、性質の異なる材料を接合し、架構体として組み上げると複雑な挙動をするので、コンピューターという道具によって多くの情報を処理しないと結果が得られないと思います。もう一つは、ハイブリッド構造の本質についてですが、適材適所の考え方ということが出来ます。
 必要な場所にRCや木材、鉄骨などを使い、適切な所に適切な材料を使い分ける考え方、つまり、適材適所の考え方がハイブリッドの基本的な考え方だと思います。ハイブリッド構造において問題となるのは、異種材料間に生じる接合部の評価が難しい点です。都市問題における都市型と田園都市間に存在する境界部分の扱いが難しいのと同様でないかと思います。
 私は今、5階建て、10階建てのRCコアや鉄骨コアに木造架構を絡ませ、木を表現として積極的に活用する案の構造的な可能性を検討しているんですが、日本における防火、耐火の規制がそれを阻んでいます。何でもそうだと思いますが、今こそ前向きな考え方が必要だと思います。否定する意見でなく、それを成立させる条件の整理を行うことの方が重要だと思います。

 

沢良子:オフィスビルだけでなく人間の住まいそのものがタワー化している、非常に高層化している状況もあることが、先程の平良さんのお話の中でふれられていました。その状況がハワードの田園都市構想とは非常に乖離したものであることは確かなことだと思います。

 平良先生が長谷川先生に、「もっと実際に踏み出してくれ」と非常に挑発的なご意見を述べられたことや、先ほど藤本先生が「もう空中戦はいい。地上戦に移さなければいけない」とおっしゃっていたことを聞いて、理論や議論を形にしていかなければならない状況は確かにあると思います。
 ただ、私が理論側の人間としてあえてここでいわせて頂きたいことは、田園都市構想と都市主義の限界ということは非常に深いところでつながって、その理論的な裏付け、つまり空中戦はまだ足りないぐらいではないかということです。それはなぜかといいますと、先日、今非常に話題になっている上海という都市を見て来ました。平良さんがいわれているような良い意味でのハイブリッドな都市でないもの、ハワードがいう田園都市とはまったく違う形での都市化を見て、非常に驚き感動もしました。行った方はご存知かと思うんですが、上海というのは町全体を観光都市として売り物にして、エネルギーが溢れ返っています。
 例えばフランス租界とか租界というエリアを残して、また町中にそれとは違う超高層が建ちますし、さらに川をはさんだ向かい側にも全然違う超高層が建っている。ところが新旧が混在する中で、やはり何を残して何をとっぱらって、何をつくっていくかの軸が明快なんです。もちろんそれを可能にしている国の体制の違いは大きいと思います。先ほど平良さんが軸になるようなものが見つかったときにそこから何かを始めることができるかもしれないとおっしゃっていましたが、その軸になるものを見つけるためには、私はやるべき空中戦はまだまだ残されているのではないかという気がします。
 具体例をいうと、先日建築塾の講座で佐奈芳勇さんや塾生と一緒にフィールドワークで見た六本木ヒルズは、ハワードの田園都市とはまったく違う都市なんです。そこのディベロッパーである森ビルは、自分たちは都市の限界を超えるんだといっています。今後垂直に構成された町が、コミュニケーションの問題も含めてどうなっていくのか大いにに関心が持てます。
 もともと、六本木ヒルズの開発は地元の人が望んだ計画でした。けれども一部には望まない人もいました。住環境の変化を望む、望まないという議論があった時に、何を残し、何をなくすかというような議論がされつくしたのかというと必ずしもそうではなかった。
 建築もしくは都市をつくる側として踏み出す一歩、というのは非常に重要なものだと思うんです。それだからこそ踏み出す地上戦の一歩と共に、より深みのある空中戦の展開というのが、今後さらに新しい一歩を踏み出していく重要な両車輪ではないかと考えます。
 平良さんが、戦後の建築ジャーナリズムで追求されていた「建築家の責任」という問題は、一層追求されていかなければならないでしょう。その点も含めて、平良さんには今後ますます頑張っていただきたいと思っています。

 

平良:空中戦といわれるようなところからはじめますと、空中戦はもう終わったと私も思ってません。それは都市論の中だけでは不十分だと僕は思っているんです。それはどういうことかというと、例えば田園都市構想にしてもこれは都市の側からだけ考えてはだめで、逆にカントリーの方、具体的に農村問題をしっかりふまえて議論しなくてはいけない。それをまちづくりの理論の中に組み入れておかなければならない。これがまだ出来てないと思うんです。そういう意味では理論の中で一歩も二歩も踏み出して欲しいと長谷川さんにも注文をつけている所なんです。
 それは長谷川さんだけじゃなくて沢さんもそうです。沢さんも美術の領域の中だけで考えているんじゃなくて美術の領域をもう少し都市論も含めた方向に広げる努力をなさったらどうでしょうって思っている。僕も今まで建築論の中だけでやってきたけれど建築論を超える要素も組み入れなければ今までのものを超えることが僕は出来ないと思ってる。ですから人文系が開発してる社会学的な理論が我々の建築論の中に入ってこないといけない。それは建築は様式論、建築構造論、それから住まい方の調査とこういう風に建築学の中で分断をして考えていることがあります。でもこれが住まい方の問題となるともう少し社会学者が色々やっているんです。それをまだ我々の中に十分組み込んでいない、そういう意味では理論的な研鑽がもっともっと必要です。ですから空中戦はまだまだ足りない。
 ただ先ほど藤本さんたちが具体的にものをつくって行かなきゃいけない現場ですから空中戦ばっかりじゃ困るということは当然なんだけれども、彼も空中戦が全く不要になったと考えていないと思うんですね。設計の現場にいる中でやっぱり今まで欠けていたのは何かという反省の上で彼も話していると思うんですよね。目の前にある具体的な問題にもやっぱりどんどん入っていくべきだと。それで理論の上でもそういう現実をふまえて理論化に組み込んでいく必要があるという風にと僕は思っている。沢さんの批判はわかったつもりでいるんです。もっと手厳しい批判があってしかるべきだと思っています。
 どうもありがとうございました。今日はこういう会合をつくりたいがために実現した会合でした。喜寿の御祝いというより僕は議論をまともにぶつけ合うという場を大いにつくっていただきたいと思っています。これは僕がお礼と共に皆さんに対してお願いしたいことです。でも今日の議論は不十分でしたが、これからもこういう会合が広く行われることを期待しています。どうも本当に今日はありがとうございました。

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