平良敬一先生喜寿記念講演会

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ディアスポラ・アイデンティティ

青山:ハイブリットという言葉ですけども平良先生に質問したいのですが、先週の岡山の古民家再生工房の民家の中にモダンなものが入りこんで見えるのがハイブリッドだという風な言い方をしてるんですけど、僕のイメージは彼らのデザインは、決してハイブリッドなものではないんじゃないかというのがひとつあるんです。それはあの民家の中には古いものや新しいものが異質に入りこんでますよね。だけど実は彼らデザイナーの仕事っていうのは全然ハイブリッドじゃなくて、一つのインテリアデザインとして非常に統一のとれたものなんじゃないかと思うんです。ひとつの視線っていうか美学の中であれが僕にはすごく単一に見えるんです。つまりあれは一人のデザイナーの統一されたコントロールの中にある。でもハイブリッドっていうのはもう少し異質なものがデザイナーのコントロールとはちょっとずれて入りこんできたり、予期せぬものがあってそれがおもしろい味を出してたりとか、そういうことがハイブリッドというイメージに近いのかなって僕は思うんですね。
 それは僕の印象だからいいのですが、今日ここに来る前に僕はハイブリッドっていう言葉をインターネットで引いてみたんですが、ハイブリッドカーっていうのはたくさん出てくるんですね。もう皆さんはご存知かと思いますが、僕は車を運転しないからわからなかったんですけど、ハイブリッドカーっていうのは電気でもガソリンでもというようにいくつかのエネルギーで動くシステムっていうことらしいんです。見た目ではひとつの車なんですが動いていくシステムがいくつもあって、その混成体でできているひとつのしくみがハイブリッドカーなんです。実は三澤さんにふりたいんですけれども、僕には岡山の人たちの仕事よりもしかすると三澤さんがやっていることの方がハイブリッドにみえる。というのは手仕事や民家とかのつくり方や在来工法などのやっぱり単一な美学の中にあるものじゃなくて、例えば大工さんの手仕事と工業生産品、Jパネルみたいなものを使った混成体として、建築の時代の中に手仕事の世界もあるし工業生産品もあるというのことをコントロールしている方が、もしかすると僕はハイブリッドなんだっていう気がします。その辺どうでしょうか。


▲会場の様子

三澤文子:ありがとうございます。私は大阪に住んでいますが、2年前から全然関係ない岐阜に行くようになったんです。
 大阪にいたときに、山と都市をつなぐということを、山の木を通して徳島の木頭村や奈良の吉野で実践していました。でも住んでいるところは大阪でした。私は能動的ではなく半ば受動的に岐阜に行くことになったんですが、本当にそこは背中に山がある状況です。

 ですからそこにいる人たちも、山や木に関する事を営みとして暮らしています。
 その近さから見えてくるものと、今まで大阪で十何年間やって見えていたこととが、自分の実感として、ずいぶん違うなって感じるようになりました。

 先ほどJパネルという話もありましたが、JパネルのJはJapanのJです。国産材を使ったスギのパネルを、工法の中に入れていくことで大いに意味があるというように捉えていました。でもJパネルの工場っていうのは建設に2億ぐらいのお金がかかってしまうんです。ですから、岐阜に行ってからは地域の人たちと、今ある機械で、それに近い強度がでるパネルもつくっていこうとしています。そしてそれで需要と供給のバランスをうまくとっていければいいのではないかと。今地域で見られる問題は、行ってみるとすごくわかるわけです。こんなに大きな工場ができていて、生産に関してとても良い環境なのに、全然動いていない。一方都市の方ではすごい小さな下小屋で手仕事を逆にやっている。実は地域の方が機械化されているわけです。この状況はどこかねじれているような感じがします。でもそれに少し、何かエッセンスを加えればいい方向に向いてくるんじゃないかと考えているわけです。
 次に田園都市の話なんですが、まちや都市をつくるというよりも、仕組みを変えていく事の方が自分がやる仕事だなって感じてます。
 今、学校があるのは岐阜県の真ん中あたりにある美濃というところですが、そこを中心に岐阜の県内をあちこち行くことがあります。車で南から北へ、東から西へ渡ったりしていると、あるところでサイディング風の家がパッとなくなる。またあるところでちらほらみえてくる境界があるんです、何かが変わるところが。美濃っていうところはちょうどサイディングの家が出てくる境界みたいな所なんですね。そこに今、東京で設計をやっていたけど木造をやってみたいと思った若者たちが住み着いて、そこで設計行為をやるということが生まれています。これから先、そういう人たちがそこに住み着くことで、そこのまちが変わっていくんじゃないかと思います。山と都市をつなげる行為を、山村にいて都市に発信する人たちが増えてくるってことで、何かが変わるんじゃないかと私は期待しています。
 ですから目に見えて都市ができてくるとか、まちがつくられる、ということとは少し違うかもしれませんが、何十年かのうちに、地域の人たちがいきいきと営めるようなシステムをつくり、そこでできる産物を開発し知恵を出し合う。そういうことができてくると、経済活動もある程度うまくいってくる。とすると、まちなみにも手をかけられるようになるんじゃないかと。自分たちの持っているものがいいものだと自信を持って思うようになると私は感じています。
 それで平良さんに聞きたいのは二つあって、まずこの文章の中で里山の話がでてきてますが、養老さんは鎌倉市の自分の家の近くで、戦後の里山が照葉樹林に戻ってしまって自然は強いものだという表現をした後に、人が里山に手を加えて変えようとして田園風景をつくっていったと書いています。でもこれは実はいいのか悪いのかはっきりしないんですが、どっちなんでしょう。養老さんは各自で考えてくれって投げかけているようにも読めるんです。ここを抜き出した平良さんは自然と人間との関わり合いに対してどう考えているかっていうことをひとつお聞きしたいです。
 もう一つは最後のディアスポラ・アイデンティティということです。私は静岡生まれですけど、今は岐阜にいっていて、未知の土地での体験を通して自己を形成していっているように感じています。平良さん自身の長い77年の人生の中でこういう経験とか実感があるのかどうかをお聞きしたいです。


平良:後の質問のことですがディアスポラというのは具体的には何かというと、今はイスラエルっていう国が戦後つくられたんです、人工的に。国がつくられる前に色々な所に散らばって生活しその中でそれぞれの地域で違うものを経験した人たちのことをいうらしいです。つまり具体的にはユダヤの人々のことなんです。よく考えてみると私もそういうところがあるかなって。純粋なわけではない。地域的なものもそうですし、僕は本を読む方でしたので本を読んで僕の中に染みついた色々な観念や概念、あるいは感覚、感情みたいなものが僕の中に色々たまっている、集積しているんです。それが僕なんです。それはディアスポラ的だなって、いまさら僕は思うんです。でそういうものだとすると僕は建築家じゃないしものをつくっているわけじゃないけれども、建築家やモノづくりのひとたちも色々な場所で異質なものを全部吸収しながら、堆積しながら自分をつくりあげて今日があるんじゃないかと思います。ものづくりのなかでもごく自然にというか異質的なものに折り合いをつけながらやって、自然にそういう経験というものが形になって表現されてくるんだと思います。だから僕が建築家の人たちの仕事をみるときにそういう要素を発見するんです。でも純粋主義の人たちの中には無いですね。純粋主義の辿るコースっていうのはまた別にあるんです。モダンデザインとかがそうなんですね。純粋家は非常にピュアな標準語、国語を作る。でも実際の言葉の中では生まれた所の方言の痕跡がある、方言は理解できるし話ができる。僕は沖縄の生まれた所の言葉は喋れないんです。でも活字になったものをみると向こうの生活を経験していない人よりかは感覚的にわかる。そういう人間なわけです。そんな意味でこれがものづくりにすべてそういうことがあるんじゃないかと、最近出たばかりで読んだ本の中で出てきた初めて知った言葉です。ですからハイブリットというのも、造形的に厳密的である必要はむしろなくて漠然的なものでいいんです。大阪でずっと仕事をしている時と岐阜の周囲が山であるところでやるのとが違うことや、泉さんが東京の中にちょっと田舎風の集合住宅をつくってみたりすることも。その中で私はその人がどういう育ち方、どういう仕事をしてきたかを想像するのがおもしろいんです。ですから三澤さんは藤本さんから伝統工法を受け継いで、大阪にいって仕事して今は岐阜といろいろ来てる中で何かが変化しているはずです。それはハイブリッド化の過程じゃないかと思います。そんなことを感じているんです。

青山:それでは今度は長谷川先生お願いします。

長谷川:今日は大変遅れてきましてすみません。ちゃんと地図を持ってくればよかったんですが、前に一度来たことがあったので大丈夫だろうと思ったら、路地を一本間違えてうろうろして、ついに飯田橋の方へ戻ってしまいました。それからタクシーで案内図があるところまで行って、そこから飛んできました。申し訳ありませんでした。
 汗をかきながら早く行かなきゃ、平良さんを待たしちゃまずいと思いながらもそれで、結構楽しいんですよね、路地歩きって。以前永井荷風の東京散歩の話を書いたことを思い出したりして。
 それこそ僕のイメージする都市の道というのは、表通りを道幅が何十メートルあってストレートに通っている道ではなくて、やっぱり神楽坂ような道が、本来都市の道なんじゃないかなって思いながら来たんです。
 それで思い出すのは昔、夏目漱石が住んでいた早稲田の喜久井町なんですが、漱石が作家としての名を遂げたその後に随筆を書いていた町なんですけど、彼がお姉さんや家族と一緒に歌舞伎座へ芝居を見に行く時に飯田橋側のどこかから船に乗って日本橋側辺まで行き、そこから歌舞伎座へいったと本の中に書いてるんです。要するに漱石が住んでいた喜久井町の辺りが間違いなく田園なんです。
 今日の話の中で僕が心配なのは平良さんの話のハイブリッドも含めてですけど、田園都市という言葉やハワードが考えたコンセプトは、日本人にきちんと浸透していないんじゃないかという事です。
 神楽坂には都市の迷路みたいなものがあってその周りを明治の田園地帯が取り巻いている。ハワードはガーデンシティーっていうものを提案した時、3.2万人という一つの人口単位をそこに与えた。3万人が都市部へ住んでその周辺のグリーンベルトに2千人の農民が住むという、もちろん牧畜などを含めてですが。3万人と2千人が1セット、つまりタウンとカントリーが1セットになってそれがイギリス中にばらまかれていく。それによってその当時の7〜800万人のロンドンの巨大人口を減圧していく、それが彼のガーデンシティーの基本的な考えなんです。平良さんの話で都市主義、田舎主義というのがありましたが田園都市は田舎主義ですか。そうではないでしょう。

平良:
田舎主義を含めて成り立っている都市ですよね。

長谷川:そうでしょう。言い方を変えると田園都市は「都市主義・田園主義」という図式を乗り越えようとしているんです。その時に一番大事なのは真ん中にタウンがあってその周りにグリーンベルトがあることです。僕はね、ガーデンシティーを語るときにその図式は絶対崩しちゃいけないっていう頭があるんですよ。でも今は3.2万人という人口単位でやれるわけがない。だから今の日本の国土にガーデンシティーを考えるときに、人口単位はどのぐらいかなってずっと考えているんですが、未だに僕は都市計画の分野に弱いですから結論がでないんです。なんかの形でタウンがあってその周りにタウンベルトがある、例えば新宿から荻窪に行く間のどっかにグリーンベルトをひいて市街地と市街地の間に田園がある、カントリーがあるっていうのを、21世紀には出来ないかもしれないけど22世紀ぐらいに東京っていう場面でやれないだろうかって、ずっと前から考えています。それが平良さんのいうハイブリッドとは重なるか重ならないかは自信がないけれども。
 ハワードはアンチ大都会主義です。そこをふまえないとだめなんです。つまり大都会を解体していくっていうことなんです。実は私は2〜3日ぐらい前に昭和9年ぐらいの建築雑誌を読んでいたんですが、そこにはその当時建築界で話題になっていたのは戦争中に大都市が攻められたらどう防空をするのかだったと書かれていた。僕の少年時代には、夜になると電気を消せだとか、白い蔵の壁は黒く塗りつぶせとか、そんな事がいわれている頃だったので、その頃を思い出しながら読んでいたんです。
 その当時村野事務所にいて、後に竹中にいった友野さんっていう方がおられました。その友野さんが「防空のためには都市をほごさなきゃいけない」っておもしろいことをいうんです。ほごすっていうのは僕はあまり使わない言葉なんですが、ほぐすっていう意味だと思うんです。都市をほぐすことによって、例えば一カ所攻められても全部その都市がだめになるようなことは無いのではないかと。友野さんがいっているのは、やっぱりその戦争の時の防空戦術としてそういうことをいわれたと思うんですが、でもその「都市をほぐす」というのはなかなか良い言い方で、僕の琴線に触れるものがあったんです。
 東京なら東京、大阪なら大阪のような巨大都市をほぐさないでガーデンシティーをつくれたらいいなっていうのは、それ本来の意味は無くなっているような気がしてしょうがないんです。だから平良さんが都市主義の限界というタイトルをつけられているけれども、極端にいうなら大都市主義の限界ですよね。タウンとカントリーが結婚した状態の環境を日本の中に無数につくっていく都市論なり田園論がないのかなって考えています。平良さんはそれを僕にやれってずっとおっしゃっています(笑)。

平良:そうそう、なにぐずぐるしているんだって、僕は待っていられないってね。
 それで確かにハワードがいう田園都市とは違うことを僕は考えています。もちろんハワードの原則的なところは明快で理解できるんですが、日本の現実はどういう風に動いているかというと逆の方向に動いている。都市の限界っていった場合はもちろん大都市の限界なんだけれども、それ以前の都市の限界がどの辺の規模でどういう環境で成り立つかを考えたい。大都市を問題にする以前に地方で大都市と違う要素がまだ日本で残存しているわけです。3.2万人クラスの集落も過疎が進んでもまだたくさん残っている。過疎の進み方によっては、5万とかあるいは10万ぐらいの集落も残っていて、非常に混成体であるのが現状です。
 大都市を解体していくことは賛成なんですがそれよりも前に、大都市を解体するためにも、地方において田園都市となりうる可能性のある集落、集落の固まり、連携、連合というものがあるわけですから、そこをもっと知るべきだと僕は強調したい。それは都市を考える事と逆向きの方向なんですが、大都市化に抵抗してどこで止めるかに繋がると思うんです。止める術を新たに田園都市構想の側でつくらないと、長谷川さんが考えている日本の都市を分散するということが不可能ですよね。
 やはりエネルギーをどういう風に使うか、我々の方向がどっちの方向を向いていくかっていうのを考えると、大都市を問題にするよりもやっぱりカントリー、地方主義を推進した方が早い。早いといっても一世紀二世紀かかるかもしれないけど、そういう構想を推進する方がいいんじゃないかと。という意味で長谷川さんが考えていることとはちょっと違うんだけど、ハワードの描いた原則を説くばっかりじゃだめじゃないかと、僕は長谷川さんにもう少し行動に移してほしい。行動に移せっていっても難しいのですが、一歩でも二歩でも一緒に歩きましょうよってはっぱをかけたいです。言葉を変えて言えば、新たな行動の方向を組み込んだ理論を提示して欲しいということなんです。

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