神楽坂建築塾 第六期 修了制作

東チベットを旅して

神楽坂建築塾塾生 中西 麻梨子

目次

はじめに

4. 中国に対する日本のメディアの姿勢

2. ギャロン・チベット族の概況と歴史

5. まとめ

3. チベット自治区

  

はじめに

 2004年8月、私はアユミギャラリー主催の東チベットツアーに参加した。これまで中国を訪れたことはなく、中国に対して抱いていたイメージはメディアによるステレオタイプ的なものばかりであった。英語が通じない、買い物をすると高く吹っかけられる、日本人は狙われる、都市部と田舎での貧富の格差などである。
 しかし、行き先は東チベットなので中国とは事情がちがうと想像していた。中国語も英語も通じない、標高は高く、乾燥した砂漠、仏教の国・・・とても魅力を感じたが文明の利器は行き届いていないと思い、テントを持って山登りに行くという心構えでいた。下調べをまったくせずに、じかにチベットの空気に触れたいと思い、実行した。
 旅を終え、私の固定観念はみごとに粉砕された。東チベットは森林が豊富であり砂漠などはなく、いわゆるラサを代表するチベット自治区とは異なる上、中国は確かに共産主義の人治国家であるということを理解した。中国に行く前まで警察と公安の違いすらしらなかった自分にとって、まさに目からうろこが落ちるような衝撃があった。
 帰国してから一ヶ月以上、まるでチベット熱にうかされたように、むさぼるように関連書物を読み、インターネットを巡った。調べれば調べるほど、隠されている中国とチベット、そして日本など諸外国の関係を知り、驚愕した。旅行の感想も自分の中で絶えず変化し続けた。最終的な感想がまとまるまで2ヶ月近くの時間を要した。
 最後のまとめでもふれるが、私の下した結論は一つ。日本は十分すぎるほど豊かであるということである。それは物資が豊富にあるということだけではない。教育を受けることが義務付けられ、またどんなことを言っても刑務所に入れられ、生命を脅かされることはないという「言論の自由」が保障されていること。これまで至極当然のことと思っていたこれらの憲法が何にもかえがたくありがたいものに思えてきた。
 修了論文を書くにあたって、中国・チベット問題をとりあげたいと考えたが、とても範囲が広いため、実際に訪れた東チベット丹巴地方に多く定住する「ギャロン・チベット族」の歴史を中心に調べ、他に気になる事柄をとりあげることにした。その際に中国語による文献を当たるべきなのだが、語学力がともなわないため、日本語のものに頼らざるをえなかった。その上あまり建築とは関係がなく、建築塾の修了論文としてなりたつかどうか大いに疑問を抱かれるところではあるが、ご了承いただきたい

頁はじめに戻る

2.ギャロン・チベット族の概況と歴史

 ギャロン・チベット族は、中華人民共和国成立後の民族識別によってチベット族に属すると認定された民族である。1952年12月、阿パ蔵族羌族自治州成立時のことである。
 ギャロン・チベット族はチベット高原の東、四川省西北部の海抜2000メートルを超える山岳地帯に多く定住している。そこは 江・大渡河・雅 江・金沙江などの大河が南北に流れ、鋭いV字型峡谷が形成された寒冷な土地である。
 行政区域名であげる主な定住地域は阿パ蔵族羌族自治州(馬爾康、金川、小金、理、文川県)、甘孜州(丹巴はこれに含まれる)となる。人口は1990年の統計によると199,724人とされる。
 共通ギャロン語は馬爾康語(漢語も通じる)である。この言葉はチベット・ビルマ語系チャン語群の中に加えられている。また、チベット仏教の布教活動時に使用されるのはチベット語・文字である。
 自称は「格魯」[rgyal rong]である。
 ギャロン・チベット族は山の神を信仰し、チンクー麦や小麦、トウモロコシを栽培しながらヤクやヤギを飼って自給し、貝母や虫草などの漢方薬材を採集して暮らしてきた。
 また、ギャロン・チベット族の文化として、「石 」が上げられる。高さは20〜50メートルの巨大な塔である。これが各集落ところどころに見られる。この石 は羌族にも共通する文化であり、石積みの技術が代々伝えられているそうである。
 塔は、かつて戦乱があった際に防御の役割を果たしたそうである。
 これらの生活様式や言語などから、ギャロン・チベット族はチベット自治州に定住するチベット族よりも 江上流域に定住する羌族との類似点が指摘され、古代民族「羌」の末裔とする説もある。しかし漢民族の古文献などによると、ギャロン・チベット族を治めて来た支配者層は年代によって移り変わってきたことがわかる。次に伝説を含めて歴史の流れを追ってみたい。

 紀元前、現在のインドのラダックからチベット北部高原にまたがり、シャンシュンという地方があり、スブラン氏という有力一族があった。このスブラン氏が玄奘の『西域記』に伝えられる「東女国」である。またスブラン氏は、後に巨大王国となる吐蕃王国をつくるスプ氏と婚姻関係を結んでいる。
 時を経てスブラン氏の一部が東へ移住し、現在の四川省阿パ蔵族羌族自治州金川周辺にギャロン(「女王の谷」を意味する。唐書に伝えられる「東女国」のこと)を作った。主な宗教はボン教だったとされる。
 東女国は隋・唐時代に漢民族から「諸羌(その他もろもろの羌族)」のひとつとされ、漢王朝に帰順していた。
 7世紀半ばごろ、吐蕃王国(西蔵。現在のチベット自治州にあたる)は東女国を含む諸羌を制圧した。このあたりからチベット仏教がギャロン・チベット族に浸透していった。吐蕃王国分裂後、吐蕃兵が土着化して土司として支配階層となった。
 のち、元時代にはモンゴル族の支配をうけ、明時代には雲南麗江の木氏土司の支配をうけた。
 清代になると、中国王朝の土司制度に組み入れられ、間接支配を受けるようになった。その後徐々に漢民族が移住をしてくるようになった。その流れに反発し、大金川地区の土司、サラホン氏を中心とする勢力が清と対立した(金川事変)。この際に石 にこもって20数年に及ぶ戦いに耐え、約5万人の死傷者をだして敗北した。清朝側も数万人の死傷者を出したものの、続々と漢族農民を入植させた。
 中華民国時代、ギャロン地区は生アヘン用ケシの大産地となり、さらに漢民族が流入した。
 そして中華人民共和国時代となり、文化大革命を経て現在に至る。
 このようにギャロン・チベット族は長きに渡って、様々な他民族の支配と影響を受けてきたといえる。

 頁はじめに戻る

3. チベット自治区

 チベット地区は「チョルカ」といわれる三つの地方に大別できる。

「ウーツァン」(チベット自治区)

「カム」(甘粛省・四川省・雲南省)

「アムド」(青海省)

 自治区はウーツァンのラサを中心としている。歴史をさかのぼるために、ここでまずダライ・ラマ法王日本代表部事務局のホームページによるチベット文明誕生の神話をご紹介したい。

 チベットは長い間水の中にあった。それから徐々に水が引き、高山に囲まれた新しい高原が誕生した。「雪の国」と呼ばれたその新しい土地に野蛮な聖霊や動物といった全てのものが住み始めた。観音菩薩(アバロケテシヴァーラー)は人類という特別な種類として現れたので、その土地の君主になるよう運命付けられていた。そのため、彼は1匹の雄猿に姿を変えた。その後「ヤルン」と呼ばれる谷を見下ろす岩山ではタラ菩薩(アリャターラー)が鬼女に姿を変えた。猿と鬼女が1つになり、6人の子供が生まれ、その子供たちがやがてチベット民族となっていったのである。
 猿と鬼女が出会った山、一緒に暮らした洞窟、6人の子供が遊んだ平地は全て今でもチベットに存在し確認できる。最初に出来た村の1つは今でも遊び場という意味の「ツェタン」として知られ、猿と鬼女の混血児6人が遊んだ土地と同一のものであると確認されている。6人の子供たちの直系としてチベット民族の6つの氏族が誕生したと信じられている。
 チベット年代譜によると、初代チベット王がチベットを統治したのは紀元前127年のこととされている。これは吐蕃王国のことと思われる。吐蕃王国は、シャンシュンから派生した有力一族であるスプ氏が作り上げたとされている。前述したように、スプ氏は東女国のスブラン氏と婚姻関係を結んでいたため、後継者が見つからないときはお互いの国から要請するなどしていたそうである。 
 吐蕃王国がソンツェン・ガンポ王の下で強大な帝国となるのは7世紀には行ってからである。東女国を含む諸羌を傘下におさめるなどし、それから約300年間の栄華を極めた。

 元時代には、他のチベット地区と同様にモンゴルの間接支配を受けた。この間、モンゴル皇帝はチベット仏教に帰依しチベット僧を手厚く保護したため、しだいにチベット高僧が政治的権力を手にするようになる。1642年にはダライ・ラマ5世が政治的権力をもつようになった。
 明・清時代には中国王朝の影響を受けつつも、ダライ・ラマ等高僧による政治は続き、1913年ダライ・ラマ13世はついに独立を宣言する。しかし、中華民国成立後、中国国民党はチベットを領地とみなした政治を行おうとし、1959年にダライ・ラマ14世は、ラサのポタラ宮からインド北部のダラムサラへ亡命し、亡命政府を設立した。
 その後文化大革命では、チベット寺院の破壊・略奪などが相次いだ。今でこそ中国政府などによる復興工事が行われているそうであるが、問題点は非常に多く残っている。
 ダライ・ラマ14世はチベット仏教僧侶としての活動のほかに、非暴力によるチベット独立運動に力を注ぎ、1989年にはノーベル平和賞を受賞した。
 以上はダライ・ラマ法王日本代表部のホームページを参照した。このホームページでは最初にあげた「ウーツァン」「カム」「アムド」の三つの地域における民族間の結束は固いとされているが、真偽のほどは定かではない。しかしチベット仏教信者という点での結束を意味しているのであれば納得できる。チベット独立運動の独立範囲が三つの地域のどこまでを含んでいるのかは、まだ勉強不足であるので今後調べていきたい。

 頁はじめに戻る

4.中国に対する日本のメディアの姿勢

 旅立つ以前の私がそうであったように、チベットについて詳しく知っている日本人はあまり多くない。テレビのニュースや新聞などでチベット関連の報道があまりなされず、ドキュメンタリー的なもので目にすることしかないからである。これはなぜなのか。
 まず「日中記者協定」なる日中間の報道取り決めをご紹介したい。
日中記者協定とは正式名を 「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」 と言い、当時、中日友好協会会長であった廖承志氏と自民党の松村憲三衆院議員らとの間で1964年に交わされた協定。

@中国を敵視しない。

A二つの中国を造る陰謀 (=台湾独立) に加わらない。

B日中国交正常化を妨げない。

 の三点を守れないマスコミは、中国から記者を追放するとしたもの。

これにより、日本の新聞は中国に関して自由な報道が大きく規制されることになった。当初、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、日経新聞、共同通信、西日本新聞、NHK、東京放送(TBS)の九社に北京への記者常駐が認められたが、「反中国的な報道をしない」という協定が含まれているために、国外追放される報道機関が相次いだ(何があっても親中的な報道を続けた朝日新聞だけは大丈夫だったようである)。
 また、これは本来新聞のみを対象としたものであったが、その後の新聞とテレビとの資本交換による系列化の強化で、事実上テレビに関しても適用されることになった

(はてなダイアリーより抜粋)

 この協定の影響により、チベットの問題点について日本のメディアが取り上げることは少ない。

日中記者協定の存在を知ったのはインターネットを通じてであったが、それまで信じていたものがガラガラと音を立てて崩れていくようであった。報道はすべてではなく、公明正大なものでもないのである。いままでいかに報道を信じ、踊らされてきたことだろう。そしてその踊りはすべて消費と結びついているということにも気がついた。

頁はじめに戻る

5.まとめ

 東チベットを訪れたことによって、建築物に対する興味もさることながら、教育・報道機関・国際関係などの問題点にもさらに興味を持つようになった。視野が広がったというのはこのことであると確信している。
同時に日本は豊かであり、その豊かさの真価をわかることなく日々を送っているということや、現行法律のありがたさにも気づいた。
 甲居村に家を作るという計画を聞き、いろいろ思うところがあった。しかし、チベット関連のホームページを見て、草の根交流活動などの様子を目にすると、家を建てることはそんなに悪いことでもないのかもしれないと考えが変化していった。
たとえば日本の場合、外国人(特に欧米人)が日本のよさについて言及しだすと、それまで古臭く感じられていたものがにわかに新鮮味をおびて感じられるものである。それと同様にチベットの人も、外国人に興味をもたれることによって、自国の文化を再確認するきっかけとなればと思う。もちろん現地の人々が自らの文化をどのように感じ、考えているかを直接に聞いたわけではないので独りよがりな意見かもしれない。注意が必要である。(この現地の人々の本音だが、中国政府のチェックが入ると思想犯とされてしまうこともあるそうなので、聞くことも容易ではなさそうである。)
まだ調べきれないこと、調べても書ききれていないことなどが多く、なにか誤解している点もあるかもしれない。反省点ばかりであるが、中国語の勉強を含めて今後もチベットや世界の動きに関心を寄せていきたい。

 

<参考文献>
・中国青蔵高原東部の少数民族 チャン族と四川チベット族
 松岡正子著  ゆまに書房  2000
・ 中央アジア史 
 江上 波夫編 山川出版社 1987
・ バター茶をどうぞ
 渡辺 一枝・クンサン=ハモ共著 文英堂 2001

<参考ホームページ>
・I Love TIBET! http://www.tibet.to/ 長田幸康
・蜀山女神 四姑娘山 http://www.eastalps.com/scholaweb/conts.htm
・Tibetan Heart http://leo.aichi-u.ac.jp/~masako/ 松岡正子
・ダライ・ラマ法王日本代表部事務局 http://www.tibethouse.jp/home.html
・はてなダイアリー http://d.hatena.ne.jp/

<論文作成にあたりご協力いただいた方>
長田幸康様(チベットのポータルサイト「I Love TIBET」の管理者)
大川健三様(四姑娘山自然保護区管理局 特別顧問)

頁はじめに戻る

BACK