神楽坂建築塾 第六期 修了制作

本当の豊かさとは何か

神楽坂建築塾塾生 三友 周太

目次

はじめに

6.瀬川邸

2.瀬川邸(旧 古市公威(ふるいち こうい)邸)の保存

7.主座敷、応接間

3.敷地の取扱

8.仏間/茶室

4.日本家屋に調和する設計

9.考察

5.保存的開発の意義

10.謝辞

11.画像

  

はじめに

 「ふるい町や集落に学ぶ本当の豊かさとは何か。」本年のテーマについて考え、100年以上も経つ日本家屋を存続して来た、瀬川邸をテーマに取り上げてみた。

 都会の真中で、古い家屋は取り壊されて、無機質なコンクリートのビルへと建て替えが進む中、代々と増築をしながら受け継がれてきた建物を残す努力。選らばれた建材、隅々まで行き渡る職人の技術をみた時。
 贅沢とも言える、心の豊かさに触れたような気がする。維持するだけでも経済的負担があるこのような家屋を残して行くためには、代々この家を維持してきた先代達のことを抜きにして考えられないと思う。 

隣接する瀬川ビルから見た、瀬川邸の全容

瀬川ビル正面エントランスからも日本家屋の

正面玄関が見えるようにと工夫されている

正面玄関(反むくりの屋根)と玄関内部(敷瓦の土間)

主座敷から眺める応接間

(板張りの応接間は能舞台となり、主座敷を客席として楽しんだ)

仏間から眺める苔庭

(仏間から外に出る引戸のガラスは落込みではめられている)

応接間の床

(中央は檜の厚板を敷き込んでいるが周囲には寄木が施されている)

仏間の天井(中杢の天井)

仏間の床柱(柱に入れた割りには竹が埋め込まれている)

茶室の裏の石

(庭には海、川、山から持ち込んだ石があるが、中でも茶室の裏にあるこの石は、普段、人の目に留まることは無いが水にぬれると一部が真赤になる。

ここにこの石を据えた、職人の粋が伺われる) 

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2.瀬川邸(旧 古市公威(ふるいち こうい)邸)の保存

  東京都文京区本郷に位置する瀬川邸は、明治20年(1887年)頃、帝国大学初代工学部長を務めた古市氏の自邸として建てられた。その後、大正12年(1923年)関東大震災後、瀬川家が譲り受けて住むようになった。邸宅を残してゆくために都心部にある個人邸宅が持つ、相続の問題に際してこれを将来に残して行くかという問題を考えねばならない。

 瀬川邸は先代が無くなった1984年に、四男である瀬川昌輝氏(昌平不動産総合研究所社長)が瀬川邸の敷地の一部を借り受け、1985年に隣接する社有地と併せてビルを建設し、その地代で保存費用をまかなうという方法で、邸宅の保存と開発を両立させた。家族の話し合いの下に、21世紀までの保存を目指す選択肢をとった。

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3.敷地の取扱

 日本家屋を所有する瀬川家と本郷瀬川ビルを所有する昌平不動産総合研究所との間で相互に借地を行い、実質的な敷地の交換を行った。

・ 敷地を出来るだけ広く借地することにより容積率の有効利用

・ 接道を取るための工夫

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4.日本家屋に調和する設計

 隣接して建設したビルが、日本邸の庭から眺めた景観を損なわないような配慮として、自然な色彩を検討して「空に溶け込む色」のタイルを特注しビルの外壁に用いた。
 また、プライバシーの配慮として、隣接するビル内の不特定多数の視線が日本家屋側へ入らないような窓の設置を行った。
 一方で、ビルのエレベーターホールなどの窓からは、日本家屋の屋根や庭木が垣間見ることが出来、ビル利用者にも日本家屋の存在を感じられるようにしてある。
 ビル1階玄関のエントランスは、同時に日本家屋の玄関にも通じており、通りから見た景観にも配慮がなされている。

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5.保存的開発の意義

 このような古い個人邸宅は、取り壊されてマンション等へと建て替えられてゆく中で、 建物を残す上での敷地の扱い方、新旧建物デザインの調和に工夫を行い、思い入れのある建物を残す一方で開発とを両立させている。

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6.瀬川邸 

 瀬川邸は近代土木の最高権威であり、フランス留学をして西欧文化に親しんだ古市公威氏の自邸として1887年に建設された。その後、何世代にも受け継がれながら、それぞれの時代に手を加えられながら作り上げられたものである。
 大正12年に瀬川家が譲り受けた後、この家の2代目の主となった瀬川昌世氏がお茶をたしなんだ妻のために仏間兼茶室、茶席「一指庵」を昭和初期に作った。
 一見さりげないように見える入母屋の屋根は桂離宮などの屋根にも見られる、軒先が反り上がり全体の屋根がむくっている「反りむくり」という難しい形の屋根型で瓦を葺いている。玄関の土間部分は「敷瓦」という手のかかる仕事で作られている。
 戦火からも逃れ、お茶を中心とした社交の場としたこの邸は、昭和34年頃に3代目の瀬川功氏が苔庭へと変えて離れに茶室「苔庵」も作られた。

現在4代目によりこの邸宅は受け継がれている。                                                                        頁はじめに戻る

7.主座敷、応接間

 主座敷(大広間)、応接間(板の間)が古市氏時代のもので、明治時代の和風建築である。

床の間にある一段の床脇(棚)はこれ以上薄く出来ないというほど薄く、後ろの壁とは離れ、両壁だけで支えられており、宙に浮いたような棚で、張り詰めた緊張感を生み出している。このように、この家の中には職人の技術、美意識、材質に対するこだわりが随所に見ることができる。応接間は、能を愛好し自宅で舞うために中心部に檜の厚板を敷き込み、周囲は寄木の美しい文様からなっている。天井にはトップライトを組込み、椅子式の応接間は、古市氏がフランス留学をした影響がうかがえる。

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8.仏間/茶室

 8畳の茶室は、普通の床では畳の縁が床の中央にあたる直角あたる「床ざし」を避けるために中央部に床を作り出している。シンメトリーに作られたこの座敷には職人の苦労が伺える。床柱は天然の絞り丸太で割りには竹を埋め込などの見えないところへのこだわりや配慮が伺える。天井板にも「中杢」と呼ばれる板取が施されている。

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9.考察

 この邸宅には、決して派手な装飾は見られないシンプルな作りであるが、贅沢な素材、職人のこだわりが随所に詰っている。フランスに留学した古市氏が設計したその邸宅は、和風建築の中に西欧の香りがする、そんな邸宅であった。

 先々代、先代と受け継がれてきた邸宅を保存するために尽くされている努力を、垣間見ることが出来たように思う。

2月の金曜日の昼下がり、この邸宅の茶室に座り僅かな時間を過ごしたが、都会の真ん中とは思えない静けさと、既に新芽を覗かせ始めた苔庭に本当の贅沢があるような気がした。

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10.謝辞

 瀬川邸を拝見するために快く協力して戴いた昌平不動産総合研究所 瀬川昌輝社長に感謝を申し上げます。

参考資料:CONFORT(建築資料研究社) 2004 No.79 August、

日本の家3 北海道、東北、関東(講談社)

建築とまちなみ景観(ぎょうせい)

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11.画像

   

  

  

                   


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