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小さいころからよく来た映画館なのに、なくなるのは寂しい」。同市大原の学生のコメントとして私の言葉が朝日新聞の北埼玉版に掲載されたのは二〇〇〇年の二月五日。あれから五年の月日が流れた。今は更地になって味気ない駐車場になっているその場所を、私がスケッチしたのは最後の上映前。午後三時から一時間半だった。からっ風が寒く、でも映画館はもっと寒かったのが印象に残っている。なにせ『もぎりのおばちゃん』が半券を返すついでに客にホッカイロを配っていたのである。コンクリートむき出しの床は底冷えがし、帽子・マフラー・手袋姿でも凍えた。「いつも来てくれれば壊されなくて済んだかもね」建物に言われている気がした。最後だけ来るのは調子が良いのだ。建物自体も味があったが手描きの看板も面白かった。描き手の筆使いが感じられて楽しかった。新しい映画館は出来ても、こういう看板はもう見られない。
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卯建【うだつ】平入りの続く町家の妻壁に小屋根をかけたもの。十六世紀の『洛中洛外図屏風』にも卯建のある民家を見ることができる。防火用であったとされるが、その効果を疑問視する声が多い。むしろ象徴的意味を成していたと想像される。 「えっ、これ卯建?卯建だ!」初めて発見した時はかなり興奮した。熊谷、深谷、本庄、新町など中山道沿いの建物は割と注意深く観察していたが卯建のある家は初めてだった。長野県や京都の町家で見られる他、お隣の国・中国でも見られ文化や歴史の流れを感じ入ったものである。「うだつのあがらない」とは今でも使われるが、昔は「うだつがあがって一人前」と見られたのだろう。こんな立派な卯建を見せられると、納得してしまう。 建築用語で一般に広まっている言葉は割と多い。大工さんの墨つけの順番から来た「いの一番」などもそうだが、果たして「うだつがあがらない」の「うだつ」が防火壁だということを知っている人は如何ばかりであろうか。ちなみに数年前、住所変更される前の我が家は熊谷市大字熊谷でいわゆる飛び地。小林邸は正真正銘の熊谷市熊谷。なんか納得してしまうのは卯建があがっているからだろうか。 |
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市営の自転車置き場を利用している熊谷市民は、朝晩この前を通ることが多いのではないだろうか。私も大学時代の四年間、毎日通っていたが何ぶん急いでいるため気づかずに「ただ通り過ぎるだけ」だった。しかし、ある時ふと気づいてからは眺めずにはいられない。急いで自転車をこぐ一瞬の間、それだけでも落ち着く。安心感がある。歩く人、自転車、車が行き交う道から一歩引いた佇まいに静寂があり、手入れされた植木がまた良い。きっと周りが無機質なものが多いから尚更魅かれるのではないか、と思う。
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この建物の他にも、どことなく洋館チックな家がある。あくまでも洋館チック、決して『擬洋風』とかではない。残念ながら今回スケッチしていないのだが、三ノ輪医院と言い、やはりお医者さんの家だ。丸窓がついて玄関にタイルで巻かれた丸柱がある。ここはまだ診察しているみたいなので患者になって行ってみたいのだが、いざ病気になるとそれどころではないので未だ果たせぬ夢である。ここ黒澤療院は毎日が本日休診と思われるので万が一骨を折っても中には入れないだろう。そう、中が見たいのだ。こうしてスケッチしている間に中から品の良いおばあさんが出てきて「どうぞ」と中に入れてくれないかなあ、と思っていたけれど建物が動く気配はなかった。この建物は屋根と看板が良い雰囲気を出している。勝手に格付けすると大関クラス。医者の建物の横綱はこの道の少し先にあった荻野耳鼻科。しかし今は壊され、わずかに屋根に面影を残すのみである。
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黒澤療院の隣の隣。安良岡と黒澤療院の間にある建物も珍しい。建具や手摺が凝っている。数寄屋風とでもいうのだろうか。この建物からはスケッチ中に品の良いおばあさんが本当に出てきた。手には白菜。「おはようございます」と挨拶してくださった。 さて旅館安良岡だが、向こう隣の建物も出桁造である。近代建築が並んでいると屋根の高さ、角度が一定で町並みが揃い美しい。また雨戸が普及するまで通風と防犯の機能を果たしたという窓の格子(連子)もリズミカル。出桁造は川越が有名で、あえて太い桁を外に出すことによって、その家の商いが繁昌している証としたという。熊谷の出桁は川越ほど顕著な太さのものではないが、出桁造の建物は、街中に多く見ることができる。中山道の宿場町として栄えた名残りであろう。現在も上越新幹線、JR高崎線、秩父鉄道に加え国道四線が市内を通り近隣の交通の要となっている。
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なぜ熊谷に気象台があるのか 熊谷の最高気温は37度の予想です」夏になるとテレビから流れるこのフレーズ。「なんで埼玉は県庁所在地の気温じゃないんだ」と思う方もいるのではないだろうか。実は明治六年、埼玉は南の埼玉県、北の熊谷県とに分かれていたのだ。明治九年に統合され浦和に県庁が置かれてから、何度か争奪戦があったという。「県庁は熊谷に移る」という予測のもと気象台が熊谷に建設されたのである。ちなみに江戸後期の記録では浦和宿の戸数二七三戸で熊谷は一〇七五戸。鼻息が荒くなるのも分からなくもない。 |
熊谷は盆地なのか 気温が高いので「盆地なの?」と聞かれることが多いが、これは間違いである。まず大平洋からの南風が都心のヒートアイランド現象により温められた空気を北へ運ぶ。また群馬や長野の山々からの風はフェーン現象によって標高を下げるごとに気温を上げてくる。この二つの熱気が丁度ぶつかるのが熊谷、ということである。仕組みがわかると尚更暑く感じられる。最高気温が38度の日、駅前でテレビの取材班が気温を計ったところ42度を指していた。暑いを通り越して、熱い。 |
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まず壊さないで使ってくれたことに感謝。「そのうちスケッチしよう」とのんびり構えていて気づいたら壊されていた、という経験が多く、そのたびに無力感を味わっていた私。なんでも店主は若いらしいが「あっぱれ」と伝えたい気持ちである。伝えついでにラーメンも食べたいのだが、帰りの遅い私が通る時はいつも「売り切れ」で、たまに早く帰れたと思えば「定休日」。いつでも開いていてコンビニみたいなラーメン屋もあるが、ここ『きくちひろき』のような不便さは逆に客に人気をもたせるのだろう。そんなわけで本日も「売り切れ」。「食べてみたい」と思う私。商売の術中にはまったか。建物を上手く活かして使っているとは言えないが、郊外の大型店鋪に客足を取られ、衰退していく商店街に現れた「新しいかたち」として高く評価できると思う。ちなみに隣は出桁造の穀物屋である。
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高校の友人に畳屋さんの娘がいて、名字が金井だった。ひょっとしてと思い聞いてみると『金井畳本店』は親戚にあたるらしい。彼女の家は、ここから少し離れた場所にあった。出桁造ではなかったが、いつもガラスがピカピカに磨かれていて前を通ると畳の香りがぷんとした。この建物も然りで、磨かれたガラス越しに店内が見える。土間から一段あがって畳があり火鉢が置いてある。看板に見られる「久という屋号や二階の窓の木製手摺など、風情がある。この建物が面している市役所前通りは道の中央に立派なケヤキ並木があり四季折々、目を楽しませてくれる。しかし緑豊かな場所のためムクドリ達にまで好まれ一時被害が凄かった。女子高生の時分、自転車のハンドルを握る手に落下。怒るより悲しかった。しかしムクドリ達も他に行く場所がないのだ。大きい音を出して追い払うだけでは根本的な解決にならない。 |
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お囃子の練習が聞こえてくる七月になると血が騒ぐ。毎年七月二〇日から三日間行われる『うちわ祭』には市内から12台の山車が出て国道を閉鎖し練り歩く。ことぶき食堂のある本町一丁目は『本壱弐』の山車。神武天皇を祀っているため未だに女性は山車に乗れない。花街の山車『弥生町』は逆に女性が多く地域柄が表れる。祖父の家が『本壱弐』の地域なので太鼓や鐘を叩きたかった私は「どうして女の子はダメなの」と思ったものだが、山車のしまってある千形神社の隣は陣屋跡、裏手には長屋門を構えた家…と、確かに格式のありそうな地域なのだ。国道一七号と直交する商店街は往時の賑わいはないが生き生きとした生活感がある。一軒一軒違うのに統一感があるのは建物の高さが揃っているからだろうか。ことぶき食堂のおじさんはお千形様の奉納カラオケ大会メイン司会者である。私も一度参加し景品で水玉の折り畳み傘をもらった。 |
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前ページのスケッチの左側がこのスケッチである。出桁造の建物は格子(連子)窓はないが、木製雨戸が現役で頑張り二階手摺は自然木の動きをそのまま生かした造形が見事。一階の建具もしっかりとしていて保存状態が良い。きっと住んでいる方が家を大事にされているのだと思う。現存する出桁造の民家には屋根が傾くなど構造上修復を要するものも目立つが、この建物は壁も建具も問題なく、全体のバランスも整い私のお気に入りの一軒である。隣は二軒長屋で、まん中で塗り分けられた『双子のたてもの』である。更に隣にも『双子たてもの』が現存。スケッチすると目に映るだけだったものが見えてくる。二つの『双子のたてもの』を通り過ぎ左へ曲がっていくと熊谷寺が見えてくる。熊谷次郎直実(のちに蓮生法師)が開いた寺で時折見学出来ることもある。その裏手には大正八年に建てられた聖保羅教会。総煉瓦造の建物は必見である。
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飲んだり食べたり 熊谷市民の通勤電車・高崎線。山手線や京浜東北線などに比べ、長距離利用の客が多いせいか「高崎線と宇都宮線は車内でものが食べられる」雰囲気である。ビール片手に声高な人には閉口するが座席の細い隙間で、肩身狭そうにビールとおつまみを静かに食す人は眉をひそめられたりすることはない。 最近の車両はほとんど直線型の座席だがボックス型の座席も健在。ボックス席で向い側に座ったおばちゃんから飴をもらったりした。「これもお食べ」とミカンも戴いたので食べながら帰ったこともある。 |
上野駅の攻防 上野から一時間弱。この距離を最初から座って帰りたいと、あの手この手で考える。疲れている時は確実性をとって一本後に乗る。「業務放送トオヨンバン(14番)車内整理終了、ドア開けて交替願います」この放送の後ドアが開く。これが流れると並んだ列が一歩、前に出る。また、ぱっかり口を開けた電車が停車している時はあきらめずホームの端まで歩くと開いている座席を発見する確率が高い。15両編成と長いので運動にもなる。急いでいる時は混んだ車内に乗り込む。早めに下りそうな人にあたりをつけ。その人の前に立つ。 |
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やけに立派な長屋門があって驚いた。明石医院の門であるが、長屋門を使っているのは住んでいる方だけで患者は直接病院の出入り口を利用している。スケッチしたのは『うちわ祭』の初日。門には祭提灯と飾りがかけられていた。もともと長屋門は武家屋敷かそれに準ずる庄屋の屋敷にしか構えられなかった。と、いうことは明石医院は庄屋だったのではないか。もしくは明治時代になって身分制度がなくなってから建てられたものかもしれない。いづれにせよ力のある名家だったのだろう。長屋門だけ見ていると、中からお侍さんが出てきてもおかしくないと思った。長屋門をぐるりと裏手にまわると、熊谷地方裁判所がある。そのため弁護士の家も多い。長屋門のそばに風格のある弁護士の家があったのだが、先日行ってみると更地になっていた。また長屋門の隣には夏目漱石の小説『坊ちゃん』のモデルと言われる教師の住居跡がある。 |
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小さい頃、祖母がくれる飴玉は冷蔵庫で冷やされたニシダ飴だった。いつも貰っていたから自分で買うのは初めて。店に入ると種類の多さと一袋一〇〇円(税込み)のところが大いに気に入って、以来通っている。昔ながらの水飴や黒玉(てっぽう玉)のほか、茶飴、ぶどう(干しぶどう入り)、ピーナッツなど、変わった飴も多く「どれにしようか」と考えながら買うのが楽しい。小さい頃はチョコレート飴が好きだった。「キナコ飴ある?」と突然入ってきたおばちゃんが言う。「これこれ、おいしいのよ」と連れのおばちゃんに言うので私もつられて買ってみた。水飴とキナコのコラボレーション。最近知った情報だとキナコ飴は夏場は溶けてしまうため冬期限定販売らしい。また熊谷銘菓『五家宝』も販売。原材料は水飴、キナコ、もち米(熊谷の小学生はテストに出ます)。「水飴はいくらでもあるから五家宝も作っているのよ」と、おかみさん。
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