文・ゆふねなおこ


日々を歌う 42

ふるさとの風景


 最近すてきな絵描きさんに出会った。彼と話をしているうちに、私たちにとっての《ふるさと》とは何なのだろうということを思った。

 私は東京生まれの東京育ちである。私のまわりには、深い山も美しい川もない。けれど幼かった頃、小さな沼はところどころに点在していたし、団地のなかにはケヤキ並木が鬱蒼としげっていた。野原には鳥も昆虫もたくさんやって来て、四季を通じて野の草花は咲きつづけた。父親の作ってくれた釣竿の先に煮干しをつけて、よくザリガニ釣りにも行ったものだ。道はまだまだ今のように舗装されていなかったので、いったん雨が降ると靴は泥まみれになった。

 今でも私は同じ場所に住みつづけている。けれど、いつのまにか沼はひとつ残らず消え去った。芹が美しくしげっていた小さな流れも今はもうない。ケヤキ並木は、ここ数年の間にすっかり衰えて、少しずつ滅びへとむかっている。私が、そのむかしよく登ったケヤキ大樹も、その幹にびっしりと苔をつけて痛々しいほど弱ってしまった。

 《ふるさと》という言葉を聞くと、多くの人々は美しい山河、広大な海などを思いうかべるかもしれない。けれども私にとってのふるさとは、東京の片隅のこの小さな町である。それは永遠にかわることがない。 

 私が以前つとめていた職場には、七歳になる男の子がいた。家族だけで経営している小さな仕事場だった。彼は地元の小学校へは行かされず、世間でいう名門小学校とやらに通わされていた。毎日車で送り迎えしてもらい、近所には友人が一人もいない。学校のない土曜日曜日、そして、春休みも夏休みも、彼は一日中家で過ごした。家族にも仕事があるので彼にかまってなどいられない。外へ出ることは固く禁じられていた。それというのも、家の前は車の通りの激しい道路だったし、公園は誘拐でもされたら大変とのことで行くことはできなかった。その結果、彼の休日は、テレビとゲーム、宿題と五つの習い事をこなす日々であった。そのため彼はいつも不機嫌で癇癪ばかりおこしていた。私のことを慕ってくれていたけれど、ときどきわけもなく物を投げつけてきたりしたものだ。

 それでも親は、彼の苦しみなど少しも理解せず、「いつもどうしてこんなに怒っているのかしら」といぶかしがっていた。

 ある日、近所の奥さんが生まれたばかりの赤ちゃんをつれて遊びに来たことがあった。みんな赤ちゃんのかわいさに夢中になって、彼のことなどすっかり忘れて楽しいひとときを過ごしていた。私は途中ではっとして、隣の部屋へ行った。するとそこには無表情な彼が立っていて

「赤ちゃんの首をしめたら、赤ちゃんは死ぬのかなぁ」と小さな声で言った。

 今から思えば、彼のふるさとはあの小さなアパートのうっすらと光の入る白い部屋なのかもしれないと思い、悲しい気持ちになる。泥まみれになって遊ぶことも、木登りをして蝉をとる喜びもないあの小さな箱が彼のふるさとになってしまうのかもしれない。

 都会に暮らしていれば、その環境はどうしても自然から遠いものになってしまうのは仕方のないことだろう。けれども、どんな子供にも自主的に自然とかかわることのできる空間は絶対に必要なのだと私は思う。深い山や美しい川でなくてもいい。たったひとつの原っぱでもいい。小さな沼でもいいのだ。子供たちには、だれの制約もなく、小さな自然と自分自身でかかわり、そこからさまざまな驚きと喜びを受ける権利がある。名門小学校とやらに入れることや、たまの休日に、車で山や海へつれて行くことが親の優しさだと思っているのは、子供にとってあまりにむごいことだ。

 ふるさとをもたない人はいない。けれど、そのふるさとが真に豊かなものでないかぎり、私たちはその後の人生に何らかの影響をうけることになるのではないだろうか。

初出:2001年6月『アユミギャラリーニュース』第49号


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