文・ゆふねなおこ


日々を歌う 40

郷土玩具に込められたもの


 世の中にはたくさんの美しいものがある。人によって美の基準もさまざまだろうが、私は最近、日本の郷土玩具をことに美しいと思うようになっている。郷土玩具などといってもぴんとこない人も多いかもしれない。今の私たちの生活様式からは、程遠い存在となってしまっているのだから。

 日本人形玩具辞典によると、郷土玩具とは「日本各地で古くからそれぞれ自給自足的に作られ、親しまれてきた伝統的な玩具。そのほとんどが江戸時代から明治期にかけて生まれたもので、その土地の生活、風俗などを反映している。材料には、土、木、竹、紙、布、糸など、明治開化以前からこの国に存在していたものだけが用いられ」ているもの、と書かれている。いってみれば、庶民によって作られた、庶民のための玩具である。ハイテクのおもちゃがもてはやされる現代、多くの子どもたちは、その存在さえ知らないのだろう。しかし、こんなこの世でも、ほそぼそとではあるが、日本各地で職人さんたちの手で、郷土玩具は今も作られている。そして、ありがたいことに、日本は昔から世界的な玩具王国、人形王国なのである。玩具はその昔、子どもたちの単なる遊び道具であるだけでなく、その多くに信仰や祈りがこめられていた。郷土玩具には赤く塗られたものが多いが、それは赤い色には病魔を退散される力があると信じられていたからで、特に子どもの疱瘡よけに効くとされた。子どもの健やかな成長を願う親の心がこめられていたのである。

 郷土玩具の中でも、特に私が魅かれているのは、素朴な土人形である。その発祥の地は京都の伏見といわれている。伏見稲荷の参道で土産物として売られ、たいへんな人気があったという。旅人がその人形を故郷に持ち帰り、それぞれの土地で、見よう見まねで同じような人形を作りはじめる。それが、山深い日本ということもあって、それぞれの土地で、独自の発展を遂げていったのである。豪華な衣装をまとった人形など買うことのできなかった庶民が、どこにでもある土という材料で、自分たちの人形を作りだしていった喜びを思うと、切ないような、懐かしいような気持ちになる。少しでも華やかになるように、ひとつひとつ泥絵具を使ってきれいに彩色していったのだろう。

 それにしても郷土玩具のその多くが、本来の信仰や祈り、また純粋な遊び道具としての意味を失って、もっぱら鑑賞用となってしまったことは時代の流れとして仕方のないことかもしれない。また、以前はあたり前のように手に入った材料が、現在では苦労してわざわざ取寄せなければなれないことも多いと聞いた。そうなると郷土玩具とはいったい何のだろうという根源的な問いも浮かんでくる。しかし、その美しさは私の心をとらえて離さない。本来の意味を失いつつも、言葉にはできないにぶい光のような素朴な美しさがある。それは、祈りや謙虚さ、自然への畏怖を忘れてしまった現在の私たちへの小さな贈り物のようにも思える。

初出:2001年2月『アユミギャラリーニュース』第47号


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