|
アユミギャラリーに出入りしていて「ヤモリの棲む壁」という言葉をよく耳にしてきた。私は野生のヤモリなど見たこともないので、そんな壁が本当にあるのだろうかと頭のすみで何となく思っていたものだ。
ところが縁あって、先日その「ヤモリの棲む壁」のある雑司ケ谷の高尾事務所におじゃますることになった。そこは大正生まれの古い建物を改装したコンピューターのデザインオフィスであり、なんとも不思議な空間であった。この事務所の社長、高尾洋氏は、一見ぶっきらぼうだが、なんともいえない魅力のある人で、その口から語られた話は非常におもしろいものであった。
現高尾事務所のもとの所有者は、亡き高尾さんの伯父さん。彼は文芸関係の編集者であり、まだ幼かった高尾さんに多くのことを教えてくれたという。言ってみれば、高尾さんの生き方の核となる部分に影響を与えてくれた人物だったのだろう。高尾さんはその後、この地を離れたが、晩年の伯父さんの暮らしぶりはかなりすさまじいものであったらしい。家の中にはうずたかく本がつまれ、ネズミ、ヤモリ、ダニ、とともに共棲して、ほとんど外に出ることもなかったという。その話の中で、特に印象に残ったのが、死後発見された真新しい多くのノートのことだ。
「たぶん、伯父は何かを書こうとしていたのかもしれない。いままでつみあげてきたものを、あのノートに書こうとしていたのではないか」高尾さんは遠い目をしながらそう言った。本にうずもれながら、小さい灯りをほうっと点して、何かしら大きな宇宙を心の中に育んでいた伯父さんの後ろ姿。私の脳裏にもその姿がやきついた。
「とにかく何でもそうだけれど、内輪でこちょこちょやっていても、いいものは外にむかって発言しなければ意味がないよ」と言う高尾さんの言葉には、伯父さんの無言の真っ白なノートへの無念の気持ちが反映されているようだった。人と人とのコミュニケーションを大切にしてゆく、最先端の技術を駆使した高尾事務所の仕事にそれはつながっているように私には思えた。
伯父さんの住んでいた大正生まれのボロボロの家は、「どうしても残したい」という高尾さんの強い気持ちと、鈴木喜一建築計画工房、そして佐藤清棟梁の苦心のすえ、今のオフィスに生まれ変わった。
今回私がここを訪れたのは、この貴重な高尾事務所を写真や絵などで表現しようという試みに参加させていただくためであった(来年2月、「高尾事務所展」としてアユミギャラリーにて開催予定)。ずっと心のかたすみにひっかかっていた「ヤモリの棲む壁」にも出会えた。この日は晴天にめぐまれ、その壁は陽をたくさん吸い込んで、近づいた私をふわりととらえた。今までに感じたことのない暖かさに、木のもつ不思議な力を感じた。少しの力が加われば壊れてしまいそうな風化した古い木の壁。この壁を残すために奔走した人々の思いに心から拍手したい。
|