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作家の北杜夫さんは、長い長い鬱状態をようやくぬけだして現在かなり激しい燥状態にあるという。あちこちの出版社に電話をかけて、原稿を売りこむことに必死になっている。ある日、私の勤めている編集部にも北さんから突然電話があり、今わたしは短歌を作っている。わたしの父親の斎藤茂吉よりも素晴らしい歌ができたから、それを世間に発表しないのは実にもったいない、したがってそちらの雑誌にぜひ掲載して欲しいとのことであった。私たちは相談をして、とりあえず茂吉との思い出をおりまぜたエッセイを書いてもらうことにした。とにかく創作意欲がつぎからつぎへと湧いてくるようである。
なぜ私がこんなことを書いているのかというと、私自身が鬱病であるからだ(鬱病とはいっても、鬱状態と燥状態をくりかえすタイプと鬱状態しかしめさないタイプがあり、症状も人によってさまざま)。こんなことを書くと、いつもよくおちゃらけてけらけら笑っている私を知っている人からは、冗談ではないといって怒られそうだが、事実なのである。周期的にくる身体の不調と、何の根拠もない不安と絶望感に長いあいだ苦しめられてきた。さまざまな病院で、じつにさまざまな検査をうけた。しかし、これといって悪いところはみあたらないということであった。けれども実際めまいはひどいし、ふつうに仕事ができないほどの疲労感があって、記憶力の低下にはほとほと閉口してしまった。何の理由もないのに突然かなしくなり、泣いてしまうこともあった。はじめは、私が怠け者だからこんなことがおこるのに違いないと思い込んでいたが、いくらなんでもこれは少しひどすぎる。こういった身体の不調とともにくる不安感は、体験したことのない人には想像もできないほど辛いものである。小さな暗い箱に閉じ込められたようで、どこにも出口がみつからないのである。
こんなことをここに書いている私は、最近精神科を訪れて薬を飲むようになった。症状をふたつみっつ話すと、ドクターは「君は鬱病です」とこともなげにいった。そして一日四粒の白い薬をわたされたのである。こんなもので治るわけがない、というのがはじめの正直な感想であった。しかし、一週間もすると嘘のように精神状態がよくなった。北さんのように燥状態というわけではなかったが、とにかくわけのわからない不安から解放され、出口が見えてきたのであった。そっけないドクターではあったが、判断の適切なひとであると思って、今の私は彼を信頼している。
私の友人の何人かはやはり鬱病である。また、たぶん鬱病ではないかと思われる友人も何人かいる。精神科を訪れるということに抵抗を感じる人々は多いだろう。しかし、鬱病はれっきとした病気である。足にけがを負った人がふつうに歩けなくなるのと同じに、鬱病になればふつうの生活をするのも困難になることもある。ただ周りの理解を得ることが難しいのも事実だと思う。ただの怠け者というレッテルを貼られやすいから。
このストレス社会、だれでも鬱病になる可能性はある。ただ、どうもおかしいと思ったら、精神科を訪れる勇気を持ってほしい。一人で自分を責めたりしないでほしい。なぜなら「鬱病は心の風邪」といわれるくらい今ではふつうのことなのだから。私のささいな今回の経験からいえば、適切な治療をうければ鬱病は必ずよくなる病気であるといえると思う。そして、精神科にかかるということを隠さなければならなかったり、恥ずかしいと思うことのない社会がくることを願っている。
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