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「十七歳」という写真展を見に行った。写真家の名前は橋口譲二。一見何の変哲もないモノクロのスナップ写真がずらりと並んでいる。彼は、一貫して「個人の存在」を追い続けてきた写真家だ。一九八七年から今日までの約十年間、日本と日本人を知るため、北は北海道から南は沖縄まで隈なく歩き回り、その土地土地で出会った今を生きる人々の姿を記録してきた。
今回の写真展は、日本を旅して出会った、十年前の十七歳、一〇二人の記録である。
その写真のスタイルは、被写体となる人が暮らしている風景をバックに、全身を写し、いくつかの共通質問を、写真の横に添えるというもの。
ふつう、まったく知りもしないスナップ写真など、つまらないはずなのに、なぜか吸込まれるように見入ってしまった。会社帰りで疲れているはずなのに、すっかり、いい気分でひとつひとつのコメントまでじっくり読んでしまう。名前、家族構成、今朝食べたもの、将来の夢、最近買ったもの、などなど。面白いのは、「今まで行った一番遠い所」という質問と「自由について」のコメント。
十七歳とは、まだまだ物理的な意味(彼らの行動範囲)においても点であり、これからその点は、うずうずとするようなエネルギーをはなってやがて線となり、地球を覆う面となっていくのだろうか、とふと考えた。
「自由について」のコメントを読むと、十年前の十七歳は、思ったより自分自身を自由だと感じていることが少し驚きだった。自由ということを、哲学的に答えている子もいるけれど、「寝ているとき」「ぼっとしているとき」「勉強していないとき」など、消極的だけれども、正直な感想なんだろうな、と思う答えが大半をしめていた。もしも、今の十七歳に同じことを質問していったなら、彼らは何と答えるのかな。十七歳という年齢は、その若々しい表面的な響きとはうらはらに、案外暗いものなのではないかな。なんだか、煮えきらない、絶望なんてものからも遠い感じ。でもそれをいつか抜けられるなら、そんな時期があっても悪くないと思う。
「酒鬼薔薇少年の事件」をきっかけに、この十年の仕事をふりかえる橋口譲二。「他者の存在」を常に感じながら生きてゆくのは、本当にしんどいことだと思う。
飽き性の私が、何回も足を運び、写真集まで買ってしまった。たぶん、写真の芸術性や技術とは無関係なところで、一瞬、彼の写真と結ばれたのだろう。
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