[ 新潟県中越地震 ]

 「ここの地域は道路が寸断され完全に孤立しており、入る事も出る事もできません。」と現地で語るレポーター。そういうあなたはどうやってそこまで来たのか?と聞きたくなるが、それはさて置き、被災地への一番乗りはそういったメディア群であった。とりあえずは難を逃れたものの、呆然と立ち尽くす人々の姿がテレビに映し出されてそうと分った。未だ救援の手は届いていないのであった。10月23日に発生した新潟県中越地震のことである。地震発生から数時間もすれば、あらゆる映像が流され始め、そしてあっという間に地震報道一色になっていった。
 災害が起こった後の対応は、まずは現状把握であるから、その種のことは必要である。しかしながら、それは、どれだけ悲惨かどれだけ壮絶かといったいわゆるスクープとそのスピードを競っているようなところがないではない。たぶん、震災直後は被災された方々よりも、それ以外の人々のほうが震災に関してずっと詳しく分っていたのではないだろうか。ややもすると、インターネットを通じて、今は遠くモロッコに居る三浦くんでさえ現地より詳しかったかもしれない。果たして、それらの報道が災害対策にどれほど効果的に働いたかは疑問ではあるが、とにかく多くの人が新潟の地震について知ることとなった。
地震の翌日は日曜日であった。テレビではいろいろな専門家という人達が入れ替わりに解説してくれていた。既に日本の一部を除いたほとんどの人は、なにがどうなったかを分っていることだろう。コタツでみかんを摘みながら相変わらずテレビ報道を見ていてそう思った瞬間ハッとなった。これが『バカの壁』でいう「わかるということ」なのか。頭では分っているつもりになっているものの、それに肌感覚といったものが全く伴っていないのに気づく。
 例えば、今回の地震で、その特徴のひとつに余震が長期に渡って起こり、しばしばそれが震度5クラスの大きいものである事が上げられるが、その状況下における恐怖感は筆舌に尽くし難いだろうとは思うものの、みかんを置いてコタツを出て正座をしてみたところで、その恐怖感を共有するには程遠いのである。
アユミギャラリーニュース70号(2004年12月)に掲載 

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