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そんな状況を偶然にも察してか、秋もいよいよ深まった頃、京都の友人からタイムリーな内容の手紙を受け取ることとなった。 洛北の山々はかなり色づいて、近くの公園のイチョウの葉が散り、風にまわって、京都いやニッポンの秋を告げております。 緑の山々が黄菜するさまは、時の流れを充分に感じさせてくれ、少しはそれを楽しむ気分にもなれる今日このごろです。 (中略) この度の御義父様の訃報にふれ、推察しておったことですがここにお悔やみ申しあげます。 失礼を覚悟で申し上げるならば、人の生死について、かなり冷静な考え方と気持ちを持って生きていきたいと思っているので、こんなふうにお悔やみを書くのは非常に苦手なのですが、一応これも人の世の定めとしてさけて通れませんので、一言書いてしまいました。 人の生と死については、簡単にはいかない人間存在、いや宇宙存在の根源、根本の問題でありますから、考えないわけにはいきません。貴君のあつかっておられる建築でいえば、土台、基礎をなす部分が死であり、生はその上に立つ建築物みたいなものかもしれません。しっかり基礎、いしずえについて認識しておかないことには、その人生は、即ち非常に不安定な構造物のようになってしまうかもしれません。砂上の楼閣みたいな人生ともいえるでしょう。 しかしながら、人生のいしずえたる死は観念的にしか実感できませんので、そこがむずかしいところです。それこそ、忌みきらったり、さけたりせず、一杯やりながらでも気軽に論ずることが、老若を問わず必要ではないかと思います。特にそういった死に対する文化を失いつつあるこの国の人々にとっては。 (後略) index ![]() |