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2 壊されてゆく風景(川越六軒町) この稿を進めようとしているのは1999年3月26日。東京には夜の雨がしとしとと降っている。雲南省昆明の壊されてゆく風景を書こうとして、現実のことが入り交じって離れない。中国のことも大切だが身近なことも放って置けない。 というのは、埼玉県川越のある商家が姿を消すことになり、いま実測調査から帰ってきたばかりなのである。明治15年(1882年)建立の建物はやはり圧倒的な存在感をもって迫ってくるのだが、どうすることもできない。近々の解体に先立ち、せめてもの記録をしている渦中である。 壊れてゆく建物、消滅してゆく風景に対して、いつも無力な自分がいる。その中には食い止めなければならない無謀な事情もあれば、どうしてもせき止められない深い状況もあるようだ。 「自分の生まれ育った家が壊れてゆくことをどう受けとめたらいいのか。どのような答えを出し、どのように終わらせたらいいものだろうか」という胸がしめつけられるような自問自答を抱えている人は国の内外を越えて随分いるのではないだろうか。建物とそこに住む人間はほとんどの場合一体であり、建物の中で人は深く心を棲まわせている。 index ![]() |