『アウシュヴィッツへの旅』
 長田弘著
 中公新書


『アバカノヴィッチ展
   : 記憶/沈黙/いのち』
 セゾン美術館〔ほか〕編
 朝日新聞社


『アフガニスタンの風』
 ドレス・レッシング著
 昌文社


[ 旅の心をつなぎとめるもの ]

3 旅の心をつなぎとめるもの

 ポーランドから帰国してまもなく僕は本棚の中におさまっていた何冊かの本をそっと抜き出し、手元において深夜少しずつ読み直している。
 その一、『アウシュヴィッツへの旅』(長田弘)
DRINKING ZUBROWKA、ズブロッカをちょっとだけ飲みながら……。
 中世の古い街クラクフからバスで二時間余りだったろうか、アウシュヴィッツ(オシフィエンチム)に行ってみた。まず、あの有名な「ARBEIT MACHT FREI(アルバイト・マハト・フライ/働けば自由になる)」というゲートをくぐり、博物館になっている赤煉瓦の収容所を一棟一棟見学した。巨大なガラス室に収められた凄絶な遺品、ガス室や焼却炉を見るにつけ、言葉にできない無念な思いが走った。人間が自ら生きることを奪われて死んでいく。
 ほんとうはもう一つの強制収容所であるビルケナウも見ておくべきだったのかもしれない。だが、僕はどうしてもこの収容所のスケッチをしておきたいという思いにかられていた。いま戦争をしようと思っている人たちはこの死の記憶をいったいなんと心得ているのだろうか。
 この本を引っ張り出して僕のアウシュヴィッツへの旅を辿っているのは「生きるという手仕事」の意味をもう一度確認したかったからだろう。
 その二、『Memory/Silence/Life』(Magdalena Abakanowicz )
 僕はあの収容所で、かつてセゾン美術館で展覧会を開催したポーランドの現代美術作家マグダレーナ・アバカノヴィッチのことを思い出していた。彼女がストレートに語りかけていた「沈黙と記憶といのち」が同じようにあの場所にあったからだ。あらためてこの本を繰り、彼女の「背中」(Backs)や「座る人体」(Seated Figures)や「群衆」(Crowd)を見ていると人間が所有している生と死、その内にある孤独や恐怖、そしてその先にある虚無すらまでも覚醒させる。
 その三、『アフガニスタンの風』(ドレス・レッシング)
 この本は実に魅力的な書き出しで始まる。ギリシア神話のトロイア戦争の話をおいているのである。ドレス・レッシングは女予言者カッサンドラーと自分をまず重ねあわせねてからアフガン難民であふれかえるはパキスタンのぺシャワールに向かう。
 読み進めていくうちに、著者の一九八六年の旅と、僕の一九八三年の旅が静かに重なってくる。
 カイバルパスという越えることのできなかった峠がある。僕はパシュトゥン族と一緒にぺシャワールからバスでカブールに向かったが、峠の検問で予期した通り降ろされる。兵士はライフルを持っていて「すぐ、降りろ」と非情に言い放った。
 その後、僕は延々と国境沿いに位置する難民の村を歩き続けた。当時、このあたりにはアフガン難民が約三〇〇万人いると言われていた。彼らの棲家は日乾レンガの家というよりは日に干した土の塊、つまり泥土の家の集落だった。
 その時、彼らの生活の中に僕が見たものは、絶望をあまりに遠く越えてしまった諦観のような静けさであり、一日一日を深々と生きている感覚でもあり、子供たちのいくつもの汚れた手を通して伝わってくる無数の生の現実だった。
 旅とは、むき出しの生を垣間見て訣別していくこと、と僕はノートに記しているが、ドレス・レッシングはむき出しの生をこの本の中で執拗に追い続けている。
DRINKING HOT WINE 
 僕は静まりかえった深夜のアトリエで一人ホットワインを飲みながら、その四、その五、と旅の心をつなぎとめる本を膝元に積んでゆく。

『住宅建築』2001年12月号 「私の本棚から」に掲載 

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